今回は、河野裕子さんの歌「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」をご紹介します。
【きょうの恋歌】
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに 私をさらって行ってはくれぬか 河野裕子二人っきりでいる時に、「こんな短歌があったわね。いい歌ね」なんて言われたら、男はドキドキしてしまいます。 pic.twitter.com/wzC7yHnY3o
— Nobu Yamashita (@sarara50) November 29, 2014
本記事では、「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」の詳細を解説!
たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか
(読み方:たとえばきみ がさっとおちば すくうように わたしをさらって いってはくれぬか)
作者と出典
この歌の作者は「河野裕子(かわの ゆうこ)」です。
河野裕子は戦後を代表する女性歌人で、平成の与謝野晶子とも呼ばれました。自身の恋愛や家族のことを詠んだ歌が多く、同じく歌人である夫・永田和宏さんと交わした相聞歌は何百首も残されています。乳がんと闘病の末、2010年に亡くなりました。
また、出典は『森のやうに獣のやうに』です。
森のやうに獣のやうには、作者の第1歌集で、1972年(昭和47年)に青磁社より刊行されました。タイトルは、収録されている歌「森のやうに獣のやうにわれは生く群青の空耳研ぐばかり」からつけられています。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌は古い仮名づかいを用いてはいますが、現代語で詠まれている歌です。
現代風の言い回しにすると、「たとえばの話だけれど、あなた、ガサッと一気に落ち葉をすくうように、私をさらって行ってはくれないでしょうか」といった内容になります。
文法と語の解説
- 「たとへば」
「例えば」は、具体的な例を挙げるときによく使う言葉ですが、この歌においては「ある場合を仮定するときに用いる語」として使われています。つまり「もしも」や「仮に」といった意味をもっています。
- 「君」
「君」は相手を指す言葉で、現代では立場が同等もしくは下の人に向けて使うイメージがありますが、本来は目上の人に対して使う言葉でした。さらに「主に男性に対して敬愛の意をこめて相手をいう語」としても用いられていました。この歌においても、親しみをもって相手に「あなた」と呼び掛ける意味をもっています。
- 「ガサッと落ち葉すくうやうに」
「ガサッ」は落ち葉をすくうときの音を表した擬音語です。「落ち葉」のあとは、目的格の助詞「を」が省略され、動詞「すくう(掬う)」+助動詞「ようだ」連用形と続きます。
- 「私をさらって行っては」
「私」はこの歌の主人公です。「さらって」は動詞「さらう」連用形+接続助詞「て」です。「さらう」は「不意に奪い去る」という意味ですが、奪い去るということは、もともとは誰かが所有していたということです。ただ連れて行くだけでなく「さらう」という言葉を選んだところに、主人公の心情があらわれています。
- 「くれぬか」
動詞「くれる」+打消の助動詞「ず」連体形+係助詞「か」で、「くれないでしょうか」の意味です。ただ「さらってくれ」と一方的に伝えるのではなく、相手の気持ちを問う言葉で終わっているのが、解釈のポイントでもあります。
「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」の句切れと表現技法
句切れ
この歌は初句切れです。
「たとへば君」は、目の前にいる相手に不意に問いかけているようすが想像できます。他の話題からか、あるいは沈黙からか、不意に話が変わった・始まったことを思わせます。
字余り
この歌は字余りが複数ある歌です。
初句が5音になるところを6音に、3句目が5音となるところを6音に、4句目と結句がそれぞれ7音となるところを8音にしています。
これらは、ひとつひとつ表現の効果をねらって字余りにしたというわけではないと考えられます。この歌自体が「実際の会話の一つの台詞」をそのまま書き起こしたような一首なので、おのずと字余りが生じたのでしょう。逆に言えば、この字余りが歌全体の口語性を強めているとも言えますね。
「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」が詠まれた背景
作者である河野裕子は、自身の恋愛や家族のことを多く歌に残しています。「たとへば…」の歌も、作者の実体験から生まれた作品だと言われています。
このことについては河野裕子本人よりも、夫である永田和弘、長男の永田淳、長女の永田紅がそれぞれの著書で語っています。
夫の永田さんが2人の青春を振り返った『あの胸が岬のように遠かった』(新潮社)では、二人が出会った大学時代に、河野裕子が二人の男性の間で揺れていたことが語られています。
当時の河野さんの日記には、「二人のひとを愛してしまへり」「永田さんとNさんがこころの内でもみ合っている」と記されていたそうです。「たとへば…」の歌は、このころに詠まれたものです。永田さんは次のように語っています。
もっとも、この「たとへば君」の君は、私なのか、と問われるとにわかに私だとは言い切れない気もする。(中略)彼女の生前には、それを確かめることはしなかったが、それで良かったのだろう。
(出典:『たとへば君-四十年の恋歌-』文藝春秋 p.21より)
「君」が誰を指すのかは本人にしか分かりませんが、おそらく夫である永田さんか、もう一人の思いを寄せる相手「Nさん」なのでしょう。
どちらにせよ、「たとへば…」の歌が河野さんの実体験から生まれた一首であることは間違いないようです。
「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」の鑑賞
【たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか】は、恋い慕う相手に自分のことをさらって行ってほしいと願う歌です。
「たとへば君」という呼びかけや、最後の「くれぬか」という問いかけから、「君」が「私」の目の前にいる状況が想像できます。
自分のことをさらって行ってほしいという願いからは、自分では今の状況をどうすることもできず思い悩んでいるようすがうかがえます。
作者はこの歌を「二人の人を好きになってしまった」という状況で詠んでいるので、どちらか一人を選ぶことができず、いっそのこと「君」がさらってくれたらいいのに!と思っているわけです。
「ガサッと」という擬音語にも、一気に、一息に連れ去ってほしいという思いの強さがあらわれています。これだけ思いが強いにもかかわらず、最後が「くれ」ではなく「くれないでしょうか」と相手の意向を問う形になっているところには、相手を大切に想う気持ちやそれゆえの切なさが滲んでいるようにも感じられます。
心の中で思っているだけなのか、言葉に出して実際に伝えているのかは分かりませんが、とても強い思いが込められた一首です。
作者「河野裕子」を簡単にご紹介!
河野裕子は、1946年(昭和21年)に熊本県で生まれました。
中学時代には早くも歌づくりを始め、京都女子大学在学中に第十五回角川短歌賞を受賞しました。
そして、平成十四年には「歩く」で若山牧水賞・紫式部賞を、平成二十一年には「母系」で斎藤茂吉短歌文学賞・迢空賞を受賞するなど、生涯を通して、また亡き後も含め、数々の賞に輝きました。
夫であり歌人の永田和弘とは、歌壇きってのおしどり夫婦と言われています。大学時代に出会い、40年間にわたって交わした相聞歌は、河野さんのものだけでも500首近く残されています。
晩年には乳がんを患い、2010年に64歳で生涯を閉じました。亡くなる前日まで短歌を作り続けたと言われています。
彼女の死後は、夫・息子・娘ら家族がそれぞれの著書で母:河野裕子について語っています。
「河野裕子」のそのほかの作品
- 振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花
- たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
- 子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
- 後の日々再発虞れてありし日々合歓が咲くのを知らずに過ぎた
- 何年もかかりて死ぬのがきつといいあなたのご飯と歌だけ作つて