短歌は、5・7・5・7・7の31音で思いを表現する定型詩です。
これは日本独自のもので、あの『百人一首』が作られた平安時代に栄えていたことはもちろん、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。
今回は、平井弘の歌「困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく」をご紹介します。
「東海のうたびと」、第7回は、平井弘さん。
高名な歌が、いま、意味を持つ。 pic.twitter.com/dTGfbSsJGf— 加藤治郎 (@jiro57) July 17, 2015
本記事では、「困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく」の詳細を解説!
困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく
(読み方:こまらせる がわにめだたず いることを このみきだれの みかたでもなく)
作者と出典
この歌の作者は「平井弘(ひらい ひろし)」です。
平井弘は口語短歌が特徴的な歌人で、1960年代には岐阜にて前衛短歌運動を牽引しました。2021年に15年ぶりの歌集を刊行するなどきわめて寡作ながら、いまも作品は各所で引用され、論じられ続けています。
また、出典は『顔をあげる』です。
歌集「顔をあげる」は1961年(昭和36年)に不動工房より出版されました。作者の第1歌集で、現代の口語短歌の先がけと言われ、のちに出る多くの歌人に影響を与えました。
現代語訳と意味 (解釈)
少し古典的な表現は含まれていますが、現代語で書かれた口語短歌なので、意味はそのまま受け取ることができます。
言葉を噛み砕いて書き直すと、「(自分は)困らせる側に、目立たないで属していることを好んだ。誰の味方でもなく」となります。
文法と語の解説
- 「困らせる側に」
動詞「困る」の未然形に使役の助動詞「せる」が続いています。つまり「困らせる側」は、やるかやられるかという2つの立場で言えば「やる側」を意味しています。
- 「目立たずいることを好みき」
動詞「目立つ」の未然形+打消しの助動詞「ず」なので、「目につきやすい、きわだって見える存在」と逆のものを表しています。「好みき」は少し古典的な言い回しで、動詞「好む」の連用形+過去の助動詞「き」なので、「好んでいた」というように過去を示しています。
- 「誰の味方でもなく」
「味方」は「自分の属する方。仲間。」という意味もありますが、この歌ではもう少し意味が深く「仲間として力をかすこと。加勢すること。」といった行為を表しています。
「困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことで、読むときもここで間をとると良いとされています。
この歌の句切れは少し特殊です。というのも、第4句の途中での「句中切れ」となっているのです。
一般的には句と句の間に句切れがありますが、この歌ではこうした句切れはありません。しかし、第4句にある「好みき」の「き」は過去の助動詞の終止形ですので、ここにはっきりとした「区切り」が存在しています。したがって、「第4句の句中切れ」という見方ができます。
句またがり
句またがりとは、文節の終わりと句の切れ目が一致しない状態を言います。句またがりは、短歌のように句数の定まった定型詩で使われる技法です。
初句から2句にかけて「困らせる側」、2句から3句にかけて「目立たずいる」、4句から結句にかけて「誰の味方」と、言葉がまたがっています。
句またがりは現代短歌、特に口語短歌ではよく見られます。
倒置法
倒置法とは、語や文の順序を逆にし、意味や印象を強める表現方法です。短歌や俳句でもよく用いられる修辞技法のひとつです。
4句と結句にわたっている「誰の味方でもなく」の部分は、普通は「困らせる側に」「目立たず」「いる」のどれかの前に来るのが自然です。
あえて語順を変え、「好みき」と言い切り最後にもってくることで、「誰の味方でもなく」の印象を深めています。
「困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく」が詠まれた背景
作者である平井弘さんは、遊郭の子として生まれ育ち、小学生の時に環境が大きく変わる経験をしました。
私は街中の小学校から田舎の小学校へ二年生のときに転校して、そのときにほぼ疎開に近いような体験をしました。田舎の子供たちの中へ放り出されて、遊郭の子だということで、いじめまではいかなくても、ちょっと変な目で見られたりして。
(『塔』2017年3月号 平井弘インタビュー「恥ずかしさの文体」(前編)より)
歌そのものが詠まれたのは作者が高校生になって以降ですが、子ども時代のこのような経験が、ずっと後に「他者」を考える上での基礎になったと語られています。
また、この歌は中学校の教科書に掲載されていますが、それに対しては次のように語っています。
学習書に、この歌の意味を次の中から答えなさいって幾つか選択肢があってね。だけど、これが正解なんてあるわけないです。(中略)どれも含まれていますもの。
(『塔』2017年3月号 平井弘インタビュー「恥ずかしさの文体」(前編)より)
作者自身がこの歌を詠んだとき、そこにどんな具体的な出来事があったのかは語られていません。しかし、子ども時代または思春期の人間関係で、誰もが感じる微妙な心情を巧みに表している一首であるといえます。
「困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく」の鑑賞
【困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく】は、人間関係においての自分の立場とそれに伴う感情を絶妙に詠んだ歌です。
人と関わるということには、少なからず力関係が生まれます。特に学校や社会での人間関係は、「派閥」ができることもよくあります。そんな時、自分はいったいどの立ち位置にいるのか。「優勢なほうの先頭に立っていたい」「劣勢のほうでもいいから静かに過ごしていたい」「どちらにも属さず自分の立場を貫く」…それぞれ色々な考えがあるでしょう。
この歌の主人公は、「優勢なほうで」「目立たずにいたい」と言います。でも「誰の味方でもない」のです。ずるい、と感じる人もいるかもしれません。しかし、黙っていれば一番安全な立場とも言えます。
子ども時代や思春期、このような立場で静かに身を潜めてやり過ごしていた人も珍しくはないでしょう。特に日本人は同調して仲間を作り、「みんなと同じ」で安心する傾向があると言われています。そんな日本人だからこそ、読んで少しドキリとしてしまうような一首なのではないでしょうか。
解釈については作者の平井弘さんも、「その時代時代にリンクした読まれ方をされるもの」と語られています。今の自分と未来の自分では、また解釈が変わってくるかもしれませんね。
作者「平井弘」を簡単にご紹介!
平井弘(ひらい ひろし)は、1936 年(昭和11年)岐阜市出身の歌人です。
3歳のときに父を結核で亡くし、9歳で母も亡くし、祖母に育てられています。高校生のときに作歌を始め、1954年に新聞歌壇で高安国世に採用されました。
1950年には同人誌「斧」の創刊に参加。初の歌集 『顔をあげる』(1961年)は現代の口語短歌の先がけと言われています。
その後、第二歌集『前線』 (1976 年)、そして30年の時を経て第三歌集『振りまはした花のやうに』(2006年)を刊行。さらに15年後の2021年(令和3年)には、第四歌集『遣らず』を刊行しました。歌人としては寡作ですが、人々の記憶に残る歌をいくつも詠んでいます。
戦時中や戦後のことを歌った作品も多く、短歌には「兄」と「妹」がよく登場します。しかし、それは平井の現実の兄弟姉妹ではなく、昭和11年(1936年)生まれの平井の少し上の世代と下の世代を例えています。
終戦のときに9歳だった平井の兄たちの世代は戦争に行き、戦死した者は二度と帰らず、村には自分と妹たちの世代が取り残された・・・これは、平井弘の短歌に頻繁に詠われる主題でもあります。
「平井弘」のそのほかの作品
- 男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる
- 外套の腕絡ませるようにしてなじりくる腹立てなくっていいの
- 君の弱みのごとく見ている靴下の裏側すこし汚れいたれば
- いる筈のなきものたちを栗の木に呼びだして妹の意地っ張り
- はづかしいから振りまはした花のやうに言ひにくいことなんだけど
- ゆふ燕の影かはほりとすりかはるひりひりとして時のうすかは
- あんなことこんなことあつたでせうさういつもの八時だつたさ