短歌は31文字と短いですが、作者の感情や伝えたい風景などが工夫して詠みこまれています。
じっくりと鑑賞することで表現の工夫やテクニックに気が付いて、その短歌がもっと好きになるかもしれません。
今回は、冬の風景をテーマにした短歌「まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空の色」をご紹介します。
本記事では、「まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空の色」の歌の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空の色」の詳細を解説!
まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空の色
(読み方:まばらなる ふゆきばやしに かんかんと ひびかんとする あおぞらのいろ)
作者と出典
この歌の作者は、「島木赤彦(しまきあかひこ)」です。
明治から大正の時代を生きた歌人で、「アララギ」という短歌雑誌の編集を務め、歌壇を代表する雑誌に育て上げたことから「アララギ派」の巨匠とされています。
近代短歌では自分の気持ちを中心にして歌を作る歌人も多いのですが、島木赤彦は自分の気持ちはあまり表現しません。赤彦の歌は風景や事柄をそのまま表現した写実的なものです。彼は自然の風景と自分自身が一体となることを目指して短歌を作っており、自然風景を淡々と詠んだ作品が主流です。その歌風は「寂寥感」「無常観」などの言葉で表されています。
この歌の出典は「切火」という島木赤彦の第二歌集です。
赤彦が大きな引越しをするなど、生活が慌ただしい時期に作られた歌が多く収められています。まだ赤彦の写実的な作風が確立される前の歌集で、表現方法の工夫や迷い、模索が見られます。しかし故郷である諏訪の風景を詠んだ連作など、後に彼の代表作に挙げられるような作品も収められています。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「葉が散って木と木の間がまばらに空いている冬の林から空を見上げると空はカン、カン、と凍てつく音を響かせようとしている、その青空の色。」
となります。
凍てつく冬の風景が静かに描写された歌です。
文法と語の解説
- まばらなる
形容動詞「まばらなり」の連体形。「まばら」とは密ではない状態で、間が空いている様子のことです。
- 冬木林
「ふゆきばやし」と読みます。冬の林を意味します。
- かんかん
「かんかん」は擬音語です。擬音語とは「ざあざあ」「さらさら」などのように実際の音を真似て言葉にしたものです。「かんかん」は硬質なものを叩いた時の音を表現しており、ここでは寒さに凍りついた空気の音を表す言葉として使われています。
- 響かんとする
「響く」の未然形と、意志や推量を意味する助動詞「ん」からなり、この歌では「響こう」という意志を表します。「響く」は音が鳴りわたる、音が広がることです。
「とする」には、助動詞「ん」などに続いて、その動作をしようとする意志・意図を表す働きがあります。
- 青空の色
青い空の色。「青空」だけでも色は青だと分かりますが、「青空の色」と「色」を強調し、体言止めにすることで青空をより印象づけています。
「まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空の色」の句切れと表現方法
句切れ
この歌に句切れはありません。
冬の林と空という風景について語られて、途中で情景が変わったり、作者自身の気持ちが語られたりといった切れ目がないため、句切れなしとなります。
また「5、7、5、7、7」音ですので字余りもありません。
擬音語「カンカン」
擬音とは、状況をそのまま音で表現する方法です。自然界の音や物音を表すものを「擬音語」といい、人間や動物の声を表したものを「擬声語」といいます。
この歌の「カンカン」は、寒さを硬質なものとして表現しています。
カン、カンという硬いイメージの擬音語は実際に鳴っているものではありませんが、木々や空気すらも凍りついていく音として寒さを表現しています。
体言止め「青空の色」
体言止めは、語尾を名詞や代名詞などの体言で止める技法です。美しさや感動を強調する、読んだ人を引き付ける効果があります。
「青空の色」の名詞で体言止めすることで、青い空を強く印象づけ余韻を残しています。
「まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空の色」が詠まれた背景
島木赤彦は長野県の諏訪地方の出身です。諏訪は標高が高く冬の寒さが厳しい所です。
この歌は赤彦の30代後半の作品ですが、冬の林の中から見上げる青空は彼が子供の頃からよく知っている風景だったことでしょう。
また冬の寒さは諏訪湖を全面凍結させます。もっと気温が下がると湖の氷に亀裂が走り、新たにせり上がった氷が湖面を脈のように走ります。これを「諏訪湖の御神渡り(おみわたり)」と言いますが、湖に亀裂が走る時「バリバリ」と大きな音を立てます。
赤彦にとって諏訪湖は身近なものです。子供の頃からこの氷の音を聞き、冬の寒さとは硬質なものというイメージを持っていたのではないでしょうか。
故郷を象徴するような冬木林と青空は常に彼の心の中にある風景で、そこに音を表現するなら「かんかん」という硬い音がふさわしいと感じて、赤彦はこの歌を詠んだのでしょう。
「まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空の色」の鑑賞文
「かんかんと」「響かん」と、「かん」という音を3回入れることで、情景の硬質さを強調しています。声に出して読むと「カン」という響きがより引き立ちます。
また、葉が散ってまばらに見える林という冬の色味のない風景を描いて最後に「青空の色」と一気に空の青を思わせます。歌の主役は青空で、「カンカンと凍りつく音を響かせようとする青空の色…」と空に注目して体言止めで終えることで、空の青さを印象深いものとしています。
全体で冬の情景を描いていて、明確な作者自身や作者の気持ちは登場しません。作者は冬の林と一体になって空を見上げています。冬の林は静まり返っています。静かに凍てついていて、「カン、カン」という氷の音が今にも空から響いてきそうです。
厳しい自然の寒さを思わせながら、どこか神聖さも感じさせる歌です。
作者「島木赤彦」を簡単にご紹介!
(島木赤彦 出典:Wikipedia)
島木赤彦は本名を久保田俊彦といい、明治9年(1876年)に長野県で生まれました。
もとは武士の家系で、諏訪藩士だった父は真面目で厳しい性格で神官や教員を務めていました。赤彦はこの父から学問を学び、父を見習い成長して教師となります。
もともと「万葉集」が好きだった赤彦は教師をしながら短歌を作っていました。写実的な歌を作る正岡子規を尊敬し、子規を中心とする短歌同好会から始まった雑誌「アララギ」の刊行に積極的に参加をします。後に赤彦は「アララギ」の編集者となって、大正15年(1926年)に死去するまで「アララギ」を盛り立て続けました。
赤彦は教師としても歌人としても厳しい人物でした。清く正しく生き、歌は鍛錬だとして、真剣に物事に向き合ってこそ歌は作れるのだと考えていました。そしてあるがままの風景を歌に描写し、自然と一体になろうとしました。そのあり方はしばしば、悟りを開こうとする仏教僧にたとえられたようです。
自分にも他人にも厳しい赤彦は一見実直すぎる堅物というイメージです。しかし教師時代には病気にかかった教え子が試験を受ける時に、その子を背負って試験会場まで連れて行ってあげたというエピソードがあります。
また赤彦が亡くなる時には彼を慕う者が駆けつけ、40人以上が最期を看取ったそうです。赤彦は彼らにありがとうと言って亡くなったと言われています。赤彦は厳しくても温かみのある人物だったのですね。
「島木赤彦」のそのほかの作品
- 隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり
- 夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖のしづけさ
- 月の下の光さびしみ踊り子のからだくるりとまはりけるかも
- ひたぶるに我を見たまふみ顔より涎を垂らし給ふ尊さ
- みづうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ
- 信濃路はいつ春ならん夕づく日入りてしまらく黄なる空のいろ