今回は、数ある作品の中でもその優美さで知られ、今日まで語り継がれてきた歌人「大伴家持(おおとものやかもち)」の有名和歌をご紹介します。
大伴家持(718頃-785)
奈良時代の歌人、公卿。大伴旅人(たびと)の長男。中納言など、地方、中央の諸官を歴任。「万葉集」の編者であり、三十六歌仙のひとり。死後、藤原種継暗殺に関係していたとして官籍から除名されたが、のち復した。 pic.twitter.com/z4MPFloit7— 公開霊言名言bot (@reigen_fact) August 15, 2016
大伴家持の人物像や作風
(大伴家持 出典:Wikipedia)
大伴家持(おおとものやかもち)は、大納言・大伴旅人(おおとものたびと)の長男、奈良時代の貴族・歌人です。
また同じく歌人であった叔母・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)に育てられ、歌に慣れ親しむのびやかな少年期を過ごしますが、それも長くは続かず叔母とは11歳、父とは14歳の時に死別してしまいます。
その齢で大伴家を背負うこととなった家持を、左遷と昇進を繰り返す、官人としての波乱な人生が待ち受けます。幸いであったことは、彼の最大の功績とも言われる「万葉集」編纂に、早くより身につけていた教養や学問、培った物の見方が生かされたことでしょう。
(元暦校本万葉集 出典:Wikipedia)
そんな家持の教養は詩歌で遺憾無く発揮されており、優美で繊細な歌風はどの歌人よりも多くの作品を「万葉集」に収めています。その数は長歌・短歌合わせて473首あると言われています。作品の特徴である儚く物悲しい表現は万葉集の中で異質であり、後の平安時代に大きな影響をもたらしました。
左遷により5年もの月日を越中で過ごす間、愛する妻・大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)と離れて暮らす寂しさから「早く帰り、あなたに会いたい」という旨の歌を贈っていますが、同時にその地で多くの歌が生まれてもいます。
高岡駅周辺。武家で歌人としても名高い大伴家持像も高岡駅北口に設置されてました。線路は万葉線(路面電車) pic.twitter.com/2RC3L3EseP
— のーり (@orion0415) August 20, 2015
大伴家持の有名和歌・代表作【20選】
大伴家持の有名和歌【1〜10首】
【NO.1】
『 振り仰(さ)けて 若月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも 』
【意味】空をふり仰ぎ三日月を見ると、一目見ただけのあの方の眉が思い出される。
家持が16歳の時に詠んだ歌と言われています。
ただ一度出逢った相手のはずが、その美しさに月夜に思い出されるほど印象に残っている、言い回しからは彼の繊細な感性と淡い恋心が伝わってきます。
歌中に出てくる眉引き(まよびき)とは、眉毛を抜いた後に眉を墨で描くことを言い、肌を美しく見せる効果があったそうです。眉毛を抜いていた理由としては、顔に塗った白粉が、眉毛があることによって浮いてしまうのを防ぐためだったそうです。白い肌に墨で描かれた眉毛のコントラストは、まさしく夜に浮かぶ三日月のように見えたのかもしれません。
【NO.2】
『 夏山の 木末(こぬれ)の繁に ほととぎす 鳴き響(とよ)むなる 声の遥けさ 』
【意味】夏の山の梢の繁みで鳴くほととぎすの声が響き渡っている。その声が遠く遥かにまで聞こえる。
ほととぎすは夏の代表的な渡り鳥として知られており、その渡来によって夏の訪れを告げています。万葉集で最も多く詠まれた動物でもあり、当時の人間にとって身近な存在であったことが窺い知れます。
【NO.3】
『 春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋(つまごひ)に 己(おの)があたりを 人に知れつつ 』
【意味】春の野で餌をあさっている雉が、妻恋しさに鳴き立て、その居場所を漁師に知らせてしまっている。
【NO.4】
『 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕かげに 鶯鳴くも 』
【意味】春の野に霞のたなびく様が物悲しく思われる。夕暮れの光の中、鶯が鳴いている。
【NO.5】
『 うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば 』
【意味】春の陽の照る中、雲雀が空に舞い上がる。一人物思いに耽っていると何とも悲しく思えてくる。
春秋三首の一つで、先述の歌同様、春の雰囲気と相反して「心悲しも」と詠んでいます。こうした悲哀を詠んだ家持の歌は万葉集では異質だったそうですが、その繊細な描写からは得も言われぬ感情が読み手にまで伝わってくるようです。
【NO.6】
『 我が屋戸(やど)の いささ群竹(むらたけ) ふく風の 音のかそけき この夕へかも 』
【意味】私の家の小さな竹の茂みへと吹く風が、その葉を揺らし微かに鳴らす。その音の聞こえるこの夕方であることよ。
「かそけき」は「幽けき」と書き、今にも消え入りそうな、淡く仄かな様を表す言葉です。家持の歌はこの「幽けき」物悲しさを扱った歌が多く、風が竹の葉を揺らす状況からもその風情が伝わってくるようです。また、この歌も「春愁三首」の呼ばれる歌の一つです。
【NO.7】
『 鵲(かささぎ)の 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける 』
【意味】鵲が翼を連ねて架けた橋に、天の川に散らばった星の群れの白い様を見ると、すっかり夜が更けたものだと感じる。
「鵲の渡せる橋」は、中国の七夕の伝説に出てくる、天の川の上に架けられる橋を、「おく霜」は天の川に散らばる星を指します。
百人一首で知った方も多いであろうこの歌ですが、魅了された歌人も多かったそうで、寂蓮は「かささぎの 雲のかけはし 秋暮れて 夜半には霜や さえわたるらむ」と詠み、他にも藤原定家らが本歌取りをしていたことが分かっています。
【NO.8】
『 一重のみ 妹(いも)が結ばむ 帯をすら 三重結ぶべく 我が身は成りぬ 』
【意味】あなたが巻いてくれたなら一重で間に合う帯であるのに、三重に巻けてしまうほどに痩せてしまった。
【NO.9】
『 吾妹子(わぎもこ)が 形見の衣 下に着て 直に逢ふまで われ脱かめやも 』
【意味】愛しいあなたの形見の衣を下に着て、直接お会いする日までどうしてこの衣を脱ぐことが出来るでしょう。
こちらも家持が坂上大嬢に贈った歌の一つです。ここでいう形見は遺品ではなく、相手を思い出させるお守りのような意味合いを持ちます。遠く離れた地に出向いた配偶者のため、形見の品を贈り、贈られた者が着用する習わしがあったそうです。離れていても大嬢と共にありたいという家持の愛情の強さが感じられる歌です。
【NO.10】
『 忘れ草 わが下紐に 着けたれど 醜(しこ)の醜草 言にしありけり 』
【意味】恋心を忘れようと忘れ草を着物の下紐に付けたけれど、役に立たない名ばかりの草であった。
大伴家持の有名和歌【11〜20首】
【NO.11】
『 春の苑 紅にほふ 桃の花 した照る道に 出で立つをとめ 』
【意味】春の庭園は紅色が匂うように美しく咲いている。桃の花の色が照り輝く道に出てたたずむ乙女よ。
【NO.12】
『 あしひきの 木の間立ち潜く ほととぎす かく聞きそめて 後恋ひむかも 』
【意味】木立の間を潜り飛ぶほととぎす。こう初音を聞いてしまっては待ち焦がれるようになるであろうか。
【NO.13】
『 人も無き 国もあらぬか 吾妹子(わぎもこ)と 携ひ行きて 副(たぐ)ひてをらむ 』
【意味】どこかに人の居ない国は無いものであろうか。あなたと手を取り、寄り添って暮らしたいものだ。
【NO.14】
『 鶏が鳴く 東男(あずまおとこ)の 妻別れ 悲しくありけむ 年の緒長み 』
【意味】東男が妻と別れることは悲しかったであろう。それもまた長い年月を。
【NO.15】
『 なでしこが 花見るごとに をとめらが 笑まひのにほひ 思ほゆるかも 』
【意味】なでしこの花を見る度、彼女の笑顔の美しさが思い出されてならない。
【NO.16】
『 この見ゆる 雲ほびこりて との曇り 雨も降らぬか 心足らひに 』
【意味】こうして見えている雲が一面に広がり、雨が降ってくれないものだろうか、足るまで。
【NO.17】
『 相見ては 幾日も経ぬを ここだくも 狂ひに狂ひ 思ほゆるかも 』
【意味】逢ってからそう日にちも経っていないと言うのに、こんなにも狂ったかのようにあなたが恋しく思われる。
【NO.18】
『 卯の花も いまだ咲かねば ほととぎす 佐保の山辺に 来鳴き響す(きなきとよもす) 』
【意味】卯の花もまだ咲いていないというのに、ほととぎすは佐保の山辺にやって来ては鳴き立てている。
【NO.19】
『 珠洲(すず)の海に 朝開(あさびら)きして 漕ぎ来(く)れば 長浜の浦に 月照りにけり 』
【意味】珠洲の海に朝早く舟を出し漕いで戻って来ると、長浜の浦に着く頃にはもう月が照っていた。
【NO.20】
『 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと) 』
【意味】新年を迎え、初春の今日に降る雪のよう、良い事も多く積もれよ。
この歌を詠むきっかけとなった日は、年の改まりと立春の重なった日でありました。それだけでも十分におめでたいことなのですが、新年に雪が降ることはその年の豊作を予兆すると考えられており、まさにその日は雪の降るおめでたいことばかりの元旦だったと言われています。そんな良年祈願の歌が、万葉集では最後の座を飾っています。
以上、大伴家持が詠んだ有名和歌20選でした!
彼の短歌は、私たちの過ごす忙しない日常を変える、見落としていた視点を教えてくれているような気がします。
足を止め、天に地に風に目を向け、夜には想いを、朝には願いを馳せ、自らの感情を指で優しく撫でるような、そんな穏やかなこれからが見えて来るような気がします。