【春の有名短歌 30選】近代(現代)短歌から昔の歌人の句(和歌)まで!!徹底紹介!

 

春を告げる花といえば、梅に桃、そしてなんといっても主役は桜です。

 

これらをテーマにした俳句は非常に多くの歌に詠まれています。また、芽吹きの生命力を詠った歌や、風や霞にまつわる幻想的な歌も多くみられます。

 

時代とともに短歌(和歌)の表現はずいぶん変わってきましたが、その変化をみるのも興味深いものです。

 

今回は近代(現代)短歌から昔の歌人の句(和歌)まで「春のおすすめ有名短歌集」をご紹介していきます。

 

短歌職人
ぜひ短歌づくりのご参考になさってみてください!

 

春の有名短歌集【昔の歌人の句(和歌) 15選】

 

まずは昔の短歌をご紹介していきます。

 

昔の短歌とは、いわゆる「和歌」と呼ばれている万葉集・古今和歌集・新古今和歌集の時代に作られた短歌のことです。

 

ここでは特に有名な春の短歌をピックアップしご紹介します。

 

(※春は旧暦で1月~3月を指しますが、今回はこの期間にこだわらずに春らしい句を選んでいます)

 

【NO.1】太宰少弐小野老朝臣(万葉集)

『 あをによし 寧楽の京師は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 』

意味:奈良の都では咲き誇る花が美しく照り映えるように、今が真っ盛りです。

※「あをによし」は奈良にかかる枕詞で青丹(あおに)は薄緑の伝統色のこと。「寧楽」は奈良のこと。「京師」は平城京のこと。「薫ふ」は美しく照り映えるの意。作者名は「だざいのせうにおののおゆのあそみ」と読みます。

短歌職人
大宰府に赴任していた作者が、大伴旅人らとの宴の席で奈良の都を懐かしんで詠んだ歌といわれています。小野老は、大伴旅人や山上億良たちと筑紫歌壇という歌の会も作っていました。

 

【NO.2】志貴皇子(万葉集)

『 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりけるかも 』

意味:岩の上を激しく流れ落ちる滝のほとりで、わらびが芽吹く春になったのですね。

※「石走る」は、岩の上を水が勢いよく流れるの意。「垂水」は滝のこと。「さわらび」は芽を出したばかりのわらびのことです。

短歌職人
雪解けの水でかさが増した滝はいつもよりも激しく流れています。そのほとりに芽吹いた小さな命を見つけた作者。春の到来を喜ぶとともに、移り変わる季節の中での、生命の力強さを詠った歌です。

 

【NO.3】大伴家持(万葉集)

『 うらうらに 照れる春日に ひばり上り 情悲しも ひとりし思へば 』

意味:うららかに照っている春の日にひばりが高く舞い上がっている。でも私の心は悲しい気持ちだ。ひとりで物思いにふけっていると。

※「情悲し」は心悲しの意味です。

短歌職人
春になっていい陽気のなか、ひばりが楽しそうに高くまいあがっているけれど、ひとりで物思いにふけっていると何となくもの悲しいというメランコリックな心境を詠っています。大伴家持は繊細かつ優雅な作風が特徴的な歌人で、万葉集の編集にも尽力した人物です。

 

【NO.4】山部赤人(万葉集)

『 春の野に すみれ摘みにと 来しわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける 』

意味:春の野にすみれを摘みに来た私は、野に心惹かれて去りがたく、一夜を明かしてしまったのです。

※「われそ」は、われぞを清音化したものです。

短歌職人
春の野の美しさを称えた歌ですが、実際に一夜を明かしたのではなく、一夜を明かしてもよいほど美しかったという強調の表現という解釈もあります。 ※「なつかしみ」は心惹かれての意味です。

 

【NO.5】僧正遍照(古今集)

『 浅緑 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か 』

意味:薄緑色の糸をより合わせ、白露を玉のように貫き通している春の柳であることよ。

※「浅緑」は糸や野辺にかかる枕詞。「糸よりかけて」は糸を数本ねじりあわせて一本にすることをいいます。

短歌職人
柳のまだ若く新しい枝を糸に、枝に付いている白露を玉と見立てています。露のついた若い枝が揺れる風景が浮かぶ、なんとも爽やかでみずみずしい歌です。

 

【NO.6】紀貫之(古今集)

『 桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける 』

意味:桜の花を散らしてしまった風のなごりで、まだ舞っている花びらは、まるで水のない空に花びらの波が立っているようです。

短歌職人
桜の花を吹き散らした風が、いったん止んだ空を見上げた作者には、余韻でまだ空を舞っている花びらが、まるでさざ波のように見えたのでしょう。そこで水のない空と表現したのかもしれません。春の幻想的な風景を詠んだ歌です。

 

【NO.7】在原業平(古今集・伊勢物語)

『 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして 』

意味:この月は以前と同じ月ではないのか。春は去年の春と同じ春ではないのか。私一人だけが変わらず、他はみな変わってしまった。

※「月やあらぬ」は、月はそうではないのか、といった意味です。

短歌職人
ある女性と恋に落ちた男がいたが、ある日突然女性は姿を消してしまいました。女性といつも会っていた場所へ一年後に出向いた男には、女性がいなくなってしまったことで周囲がすべて変ってしまったように思えました。自分だけが取り残されていると嘆いている様子を詠っています。

 

【NO.8】藤原因香朝臣(古今集)

『 たれこめて 春のゆくへも 知らぬまに 待ちし桜も 移ろいにけり 』

意味:すだれを下ろしきって、部屋に引きこもり、春の移りゆく様子もわからないうちに待っていた桜の花も散ろうとしているのだなあ。

※「たれこめ」は、すだれなどを垂らしてその中に篭ることを意味します。また「花瓶に生けた桜が散り始めたのを見て詠んだ歌」との前書きがあります。

短歌職人
春の間、病を癒すのに風を避けようと、すだれを下ろしてで部屋に閉じこもっていた作者。花瓶に生けていた桜が散り始めているのに気づき、野の花を見ることができなかったと残念に思いながら詠んだ歌です。

 

【NO.9】伊勢(古今集)

『 春がすみ 立つを見捨てて 行く雁は 花なき里に 住みやならへる 』

意味:春霞が立つのを見捨てて北へ帰って行く雁は、花のない里に住み慣れているのでしょうか。

※「住みやならへる」は、住ならふ→住み慣れる、の意味です。

短歌職人
秋に北方から渡ってきて、春になるとまた帰って行く雁。せっかく美しい花がさく、よい季節がくるというのに、春の訪れを知らせる春がすみを見捨ててゆくほど、住み慣れたところがよいのでしょうかと詠っています。

 

【NO.10】凡河内躬恒(古今集)

『 春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそみえね 香やは隠るる 』

意味:春の夜の闇は、わけのわからないことをする。梅の花は闇に隠れて色が見えないかもしれないが、香りも隠れるのだろうか、いや、隠れはしないのだ。

※「あなやし」は、理由がわからない、はっきりしないの意。「やは」は、〜か、いや~ない、を意味します。作者名の読み方は「おおしこうちのみつね」です。

短歌職人
梅の花の香りはたとえ闇が隠そうとしても、香ってきますよと詠っています。闇を擬人化し、色は隠せても香りは隠せないと、梅の香りを強調させた歌です。

 

【NO.11】紀友則(百人一首)

『 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ 』

意味:日の光がのどかな春の日なのに、どうして落ち着かずに桜の花は散るのだろうか。

※「ひさかたの」は、天、空、月、雲、雨、光、夜、都などにかかる枕詞です。「しづこころ」は落ち着いた心。ちなみに前出の紀貫之は、この紀友則のいとこです。

短歌職人
はらはらと、次々に散ってゆく桜の花のはかなさと、その美しさを惜しむ気持ちを詠んだ歌です。

 

【NO.12】素性法師(古今集)

『 見渡せば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の 錦なりける 』

意味:はるかに眺めてみると、柳の緑と桜の花の色が混ざり合って美しく、これこそ京の都の、春の錦なのですね。

短歌職人
小高いところから都を眺めたときの、柳の緑色と桜の紅色が織りなす鮮やかさを、これぞ都の錦だと詠っています。錦は秋の紅葉に使われる言葉ですが、そのあでやかさに匹敵する美しさだ、という思いがあったのでしょう。※「こきまぜて」は、混ぜ合わせるという意味です。

 

【NO.13】藤原俊成女(新古今集)

『 風かよふ 寝覚めの袖の 花の香に かをる枕の 春の夜の夢 』

意味:ふと目覚めると、風が部屋に吹き渡っていて、その風が運んできた花の香で私の袖が香っています。枕もその香りがしていますが、その枕で私は春の夜の夢をみていたのですね。

短歌職人
香っている花は桜とも梅ともいわれています。香りというイメージから、どちらかというと梅の花なのかもしれません。柔らかな春風に目を覚ました作者。袖に香り、枕にも香る花の香。まだ夢うつつであるかのようです。また春の夜の夢とは、はかないもののたとえでもあります。ほんの短い、春の夜の夢か、現実かわからないような、そんなひとコマを詠んだ美しい歌です。

 

【NO.14】太上天皇(新古今集)

『 ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし 天の香具山 霞たなびく 』

意味:ほのかに、春がまず空にやって来たようです。天の香具山に霞がたなびいています。

短歌職人
香具山に霞がたなびいているのに気づいて、ああ春が来たのだと感じた作者。まだかすかだけれど、春はもう空からやってきているよという春の訪れを喜ぶ気持ちが詠まれています。香具山は奈良県橿原市にある山で、天から降ってきた山という伝説などがあり、神聖化されて天の香具山と呼ばれるようになりました。このように歌のなかにたびたび詠みこまれる地名などを歌枕と呼びます。例:天の橋立

 

【NO.15】大伴家持(万葉集)

『 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ少女 』

意味:春の庭が紅色に美しく照り輝いています。桃の花が木の下までも照り輝き、その道に出てたたずむ少女よ。

※「下照る」花の色などで、木の下が美しく照り映えることです。

短歌職人
春が庭に訪れ、花々も咲き誇っているなか、かぐわしい桃の花咲いている道に、まるでその花の精のような少女がたたずんでいるのを見かけた作者。閉ざされた冬から春への移り変わりを実感し、少女の可憐さと花とを愛でたい思いでこの歌を詠んだのでしょう。

 

春の有名短歌集【近代(現代)短歌 15選】

 

次に語感的にみなさんの感覚に近い現代短歌をご紹介します。

 

明治時代の歌人から、後半はガラッと変わって今どきらしい現代の短歌をご紹介しますのでぜひお楽しみください。

 

【NO.1】前田夕暮

『 木に花咲き 君わが妻と ならむ日の 四月なかなか 遠くもあるかな 』

意味:木に花が咲くころ、君が私の妻となる日の4月はなかなか先のことで、待ち遠しいものだなあ。

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婚約中の「君」と結婚する4月を待ち遠しく思う青年の気持ちが表れています。いつの時代でも変ることのない、祝福される喜びと明るい希望を感じます。

 

【NO.2】岡本かの子

『 桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 命をかけて わが眺めたり 』

意味:桜の花が、その命を精いっぱい尽くして咲くからには、私も命がけで桜の花をながめますよ。

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ただ美しさを鑑賞するというだけでなく、桜の花を生きている命として、あなたがそんなに懸命に花を咲かせるから、私もしっかりとあなたを眺めますという、作者と桜がお互いに「個」どうしで向き合うのだと詠んだ歌です。和歌に登場する桜とはまた違った桜の存在感を感じます。

 

【NO.3】玉城徹

『 いづこにも 貧しき路が よこたはり 神の遊びのごとく白梅 』

意味:どこにも貧しさのある道が横たわっている。しかしまるで神様の遊びのように、白梅が咲いているのです。

短歌職人
作者は大正13年生まれです。あくまでも想像ですが、戦後の貧しい時代の町並みを俯瞰して詠んだ歌かも知れません。混沌とした街中に咲いた白梅は作者の目に非現実的なほど美しく映ったのでしょう。

 

【NO.4】馬場あき子

『 夜半さめて 見れば夜半さえ しらじらと 桜散りおり とどまらざらん 』

意味:夜中に目が覚めて、窓の外を見ると、夜中であるにもかかわらず、しらじらと桜が散って、それはとどまることがないのです。

短歌職人
京都へ旅行した作者は夜中に目が覚めて、宿泊した宿に咲いた桜を眺めていました。ほのかなともしびに照らされ、人々が寝静まった夜中にもかかわらず、自然の摂理にしたがって惜しみなくはらはら散ってゆく桜を見ながら、惜しまずにはいられない時間の消滅と過ぎ去る時の非情を思いながら詠んだ歌です。

 

【NO.5】小中英之

『 今しばし 死までの時間 あるごとく この世にあはれ 花の咲く駅 』

意味:今しばらく死ぬまでの時間があるように思われる、この世あわれ、花の咲く駅よ。

短歌職人
作者は若年の時から不治の病を抱えて、常に死を意識しながらの人生を送りました。自分にはもうそんなに時間は残されていないはずなのに、この花の咲いている駅に来ると、まだ時間があるように思われると詠んだ、とても切ない歌です。※「あはれ」は、しみじみとわき上がってくる思い、寂しさ、切なさ、かなしさといった意味です。

 

【NO.6】佐々木信綱

『 願はくは われ春風に 身をなして 憂ある人の 門をとはばや  』

意味:願わくば、わたしは春風になって、悩んでいる人の門を訪ね、気持ちをまぎらわせてあげられたらいいのになあと思っています。

短歌職人
人の心の底に秘められた憂いに耳をかたむけることが歌人の徳のひとつという、作者の当時の信念から詠まれた歌です。この時作者は28歳でした。※「とはばや」は訪ねていけるとよいなあという意味です。

 

【NO.7】北原白秋

『 ヒヤシンス 薄紫に 咲きにけり はじめて心 顫ひそめし日 』

意味:ヒヤシンスが薄紫に咲いていて、あの時はじめて心が恋にふるえはじめたのです。

※「顫ひ」は、ふるい(震える)

短歌職人
初恋とヒヤシンスの薄紫のイメージが鑑賞する人の心に焼き付きます。この歌は人妻であった女性に恋をしたその時のことを、後に詠んだ歌だといわれています。

 

【NO.8】石川啄木

『 やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けと如くに 』

意味:柔らかな柳が青く色付いて揺れている北上川の岸辺が、この目に見えているようです。私に泣けといわんばかりに。

短歌職人
1718歳のころ、一家で故郷の岩手を追われるというつらい経験をした作者。青い柳が揺れる北上川の岸辺の風景を、今いる場所で思い浮かべ、それが目に見えるようだ、そしてその風景は私に望郷の情をかきたてて、まるで泣きなさいと言っているようだと詠った歌です。

 

【NO.9】釈超空

『 桜の花 ちりぢりにしも わかれ行く 遠きひとりと 君もなりなむ 』

意味:桜の花が、ちりぢりに散って別れていきますが、同じように、別れて遠い人のひとりと君もなってしまうのだろうなあ。

短歌職人
作者は折口信夫という国文学、民族学などの学者です。教鞭をとっていた頃のことなのか、この歌はある卒業に際して詠まれた歌です。花びらが散ってゆくように、距離も気心も遠いひとに君もなってしまうのかなあと、ちょっと寂し気な気持ちを詠んだ歌です。

 

【NO.10】上田三四二

『 ちる花は 数限りなし ことごとく 光をひきて 谷にゆくかも 』

意味:散っていく桜の花は数に限りがない そのすべてが光をひきながら 風に吹かれて谷を下っていく。

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医師でもあった作者ですが、自身も大病を患い、生死をみつめた作品を多く残しています。この歌にもそれが現れており、数に限りなく散っていく命をみつめながらも、それは光の尾をひきながら、谷を下ってゆくと詠っています。桜の散る様子を幻想的に描きながら、生が死に至るとき、実は輝きと安らぎもあるのだと詠んだ歌です。

 

【NO.11】永井陽子

『 あはれしづかな 東洋の春 ガリレオの 望遠鏡に はなびらながれ 』

意味:しみじみと静かな東洋の春に、ガリレオの望遠鏡には、桜の花びらが流れ散っているところが写ったのです。

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天文学者のガリレオ・ガリレイがたまたま望遠鏡を日本に向けたところ、桜の花びらが散っている様子が見えたというファンタジックな歌です。日本人が愛してやまない桜の散る風景を、天体観測中のガリレオが望遠鏡で偶然に見つけたなら、いったいどんな感想を持つのでしょうか。

 

【NO.12】天野慶

『 日溜まりに 置けばたちまち 音立てて 花咲くような 手紙が欲しい 』

意味:日溜まりにそのまま置くだけで、たちまち音をたてて花が咲くような、そんな手紙が欲しい。

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手紙には、電話やメールにはない独特な力があります。それは郵便受けで見つけた瞬間から、心が湧きたつ手紙もあれば、封を切って中身をみて安心して喜べるものもあるでしょう。作者は届いた手紙をまるで植物を陽にあてるように日溜まりに置き、音をたてるように花が咲いたらいいなと詠っていますが、その手紙は生きた言葉、命ある言葉がかかれていないと、花はおそらく咲かないのだろうなという気がします。

 

【NO.13】笹井宏之

『 葉桜を 愛でゆく母が ほんのりと 少女を生きる ひとときがある 』

意味:葉桜を愛でて眺めてゆく母が、ほんのりと少女を生きているひとときがあるのです。

短歌職人
満開の桜ではなく、葉桜を愛でながら歩いているお母さんの中に、少女がほほ笑んでいる姿が作者には見えています。誰もが少年、少女の顔を隠し持っているのかもしれませんが、こんなふうにみつけてもらえることはあまりないかもしれません。息子が母親の中に息づく少女を静かに見つめている優しさにあふれた歌です。作者は2009年に26歳で夭逝しました。

 

【NO.14】木下龍也

『 千切りに された春です いま君の 頭に乗った 桜の花片 』

意味:それは千切りにされた春ですよ。いま君の頭に乗った桜の花びらは。

短歌職人
「頭になにかついてるよ」といわれて、とってみるとそれは桜の花びらだったということは、よくあることです。春という季節のなかにいる花も木も、わたしたちでさえ春の一部といえるのかもしれません。春をひと固まりにしたとすると花びらは千切りされた春です。最初はちょっと違和感を感じる「千切り」という言葉が、だんだん面白くなっていく歌です。※「花片」は、花びらのことです。

 

【NO.15】鯨井可菜子

『 皿の隅 ポテトサラダは ひっそりと 春の一部と なりて動かず 』

意味:お皿の隅に置かれたポテトサラダは、ひっそりと春の一部となり動かないのです。

短歌職人
ポテトサラダは大抵メインのおかずに添えられて、なんとなくいつもお皿の隅にあるイメージです。しかしポテトサラダの具というのは家庭ごとにずいぶんと違っていたりします。コーンが入っている家、リンゴが入っている家、必ず卵が入っている家など。あるいはその日の食材の都合によって、または季節によっても中身が少し違うポテトサラダが、実はひっそりと食卓に出されているのかもしれません。作者は今日のポテトサラダに春をみつけました。こんもりまとめられてお皿にのった春の一部はじっと動かずに、食べられるのを待っているのでしょう。

 

 

以上、春の有名短歌集でした!

 

春は桜の歌をやはり詠みたくなりますよね。

 

桜の名所などにお出かけされるときは、ぜひその感動を短歌にして楽しんでみてください。

 

短歌職人
もちろん桜にかぎらず、やわらかな春の季節を題材にいろいろな短歌にチャレンジしてみてくださいね!