歌人であり、精神科医であり、時には書家でもあり、また画家でもあった多才の人、斎藤茂吉という男をご存知でしょうか。
彼はアララギ派歌人の一人で、その歌々から感じられる独特な視点と世界観は近代短歌の確立を担う魅力に溢れています。
今回は、そんな「斎藤茂吉(さいとう もきち)」の有名短歌を30首ご紹介します。
斎藤茂吉(1882~1953)
山形出身。東大医学部卒。本業は精神科医。正岡子規の写生説を発展させ、「実相観入」を説いた。業績は歌作に留まらず、研究・評論・随筆等がある。代表作『赤光』 pic.twitter.com/snCXvm2nvb
— ひげ紫呉 (@n_a0109) March 4, 2014
目次
斎藤茂吉の生涯や人物像・作風
(1952年頃の斎藤茂吉 出典:Wikipedia)
斎藤茂吉(さいとう もきち)は、1882年(明治15年)山形県出身・精神科医であり日本を代表する歌人です。
斎藤茂吉はアララギ派を代表する歌人であり、その作風は、師・伊藤左千夫属する根岸派から受け継いだ「万葉調」、そして正岡子規より踏襲した「写生」が特徴です。
また、生まれ育った山形県南村山郡金瓶(かなかめ)は仏教信仰の厚い村であったことから、当時の影響からか仏教に基づいた歌も多く詠まれています。それら作品はアララギ歌人を意識させるものではなく、あくまで斎藤茂吉としての色が強く見られ、その独自性が好まれてもいました。
幼少期から14歳までを故郷である金瓶で過ごしますが、茂吉の素質を見抜いていた住職の仲介により、浅草で開業医をしていた斎藤紀一の養子となります。
その才能には養父も目を見張るものがあり、愛娘であり茂吉の妻となった輝子に「変わり者ではあるが、恐らく偉くなる。看護婦になったつもりで支えなさい」と声をかけたと言われています。
そうして歌人と医師の二足の草鞋となったために生活は多忙を極めましたが、歌人としての活動を止めることなく、「赤光」「あらたま」など多くの作品を残しています。
斎藤茂吉第2歌集『あらたま』(春陽堂)
初版は大正10年に出ていますがこれは大正14年の8版。本来は函が付いているようですが函欠けです。ビニールカバーのようなものがかかっていますが後年誰かが付けたのでしょう。 pic.twitter.com/X8MPtFzILM— 桝屋善成 (@masuya57577) November 5, 2015
斎藤茂吉の有名短歌【30選】
斎藤茂吉の有名短歌【1〜10首】
【NO.1】
『 赤茄子の 腐れてゐたる ところより 幾程もなき 歩みなりけり 』
【意味】赤茄子の腐っていた場所からどれほど歩いたかと思うも、幾程も歩いていないことよ。
【NO.2】
『 死に近き 母に添寝の しんしんと 遠田のかはづ 天に聞ゆる 』
【意味】死の間近に迫る母に添い寝をしていると、遠くの田んぼでしんしんと鳴く蛙の声が天に響いて聞こえてくる。
【NO.3】
『 のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり 』
【意味】喉の赤いつばめが二羽、屋根の梁に居り、母は死に向かわれている。
【NO.4】
『 我が母よ 死にたまひゆく 我が母よ 生まし乳足らひし母よ 』
【意味】私の母よ、死に向かわれている私の母よ、私を生み乳を与えた母よ。
【NO.5】
『 いのちある 人あつまりて 我が母の いのち 死行くを 見たり死ゆくを 』
【意味】命ある人が集まり、私の母の死に行く様を見ている、息絶え死に行く様を。
【NO.6】
『 猫の舌の うすらに紅き 手ざはりの この悲しさを 知りそめにけり 』
【意味】猫の薄紅い舌の手触りの、この悲しさを初めて知ったものである。
視覚である「うすらに紅き」と触覚による「手ざはり」、それによって生まれた感情「悲しさ」の構図には不思議な世界観があります。五感を活用し、身近存在である猫が題材のため読み手は状況を想像し易いですが、新たな感情を提示されることで、存在の愛らしさや状況の物寂しさを詠んだ猫が主題の他の短歌とは別物のように思えます。
【NO.7】
『 街上に 轢かれし猫は ぼろ切か 何かのごとく 平たくなりぬ 』
【意味】道端で轢かれた猫はぼろ切れか何かのごとく平たくなっている。
【NO.8】
『 あかあかと 一本の道 とほりたり たまきはる我が 命なりけり 』
【意味】あかあかと照らされた一本の道が真っ直ぐに通っている。それこそが私の命である。
【NO.9】
『 草づたふ 朝の蛍よ みじかかる われのいのちを 死なしむなゆめ 』
【意味】草を伝う朝の蛍よ、蛍と同じく短い私の命を死なせることのないように。
【NO.10】
『 ふり灑(そそ)ぐ あまつひかりに 目の見えぬ 黒き蛼(いとど)を 追ひつめにけり 』
【意味】降り注ぐ空からの光が、目の見えない黒いカマドウマを追い詰めたことだ。
斎藤茂吉の有名短歌【11〜20首】
【NO.11】
『 はるばると 薬をもちて 来しわれを 目守(まも)りたまへり われは子なれば 』
【意味】はるばると薬を持って来た私を見守ってくださる、私はあなたの子であるから。
【NO.12】
『 かがやける ひとすぢの道 遥けくて かうかうと風は 吹きゆきにけり 』
【意味】輝く一本の道は遥か遠く、こうこうと風が吹いていくものである。
【NO.13】
『 電燈の 光とどかぬ 宵やみの ひくき空より 蛾はとびて来つ 』
【意味】電燈の光が届かない宵闇の低い空から蛾が飛んで来た。
【NO.14】
『 この夜は 鳥獣魚介も しづかなれ 未練もちてか 行きかく行くわれも 』
【意味】この夜は全ての生き物が静かで在れ、未練を抱き右往左往する私も。
【NO.15】
『 ゆふされば 大根の葉に ふる時雨 いたく寂しく 降りにけるかも 』
【意味】夕方になり、大根の葉に降る時雨はとても寂しく降ることである。
【NO.16】
『 ひさかたの しぐれふりくる 空さびし 土に下りたちて 鴉は啼くも 』
【意味】時雨の降る空は寂しく、地に降り立った鴉も鳴くものである。
【NO.17】
『 真夏日の ひかり澄み果てし 浅茅原に そよぎの音の きこえけるかも 』
【意味】真夏日の澄み切った光が浅茅原に差し込み、草のそよぐ音が聞こえることよ。
【NO.18】
『 まかがよふ 昼のなぎさに 燃ゆる火の 澄み透るまの いろの寂しさ 』
【意味】輝く昼の波打ち際に燃える、その火の透き通る色の寂しいことよ。
【NO.19】
『 ものの行き とどまらめやも 山峡(やまかい)の 杉のたいぼくの 寒さのひびき 』
【意味】この世のありとあらゆるものは変わりゆき、それを変えることは出来ない。山峡にある杉の大木の寒さの響きよ。
【NO.20】
『 あしびきの 山こがらしの 行く寒さ 鴉のこゑは いよよ遠し 』
【意味】山を木枯らしが過ぎるその寒さ、鴉の声は遠ざかって行くものだ。
斎藤茂吉の有名短歌【21〜30首】
【NO.21】
『 はざまなる 杉の大樹の 下闇に ゆふこがらしは 葉おとしやまず 』
【意味】山々の間にある杉の大樹下に広がる暗闇に、夕方に吹く木枯しは葉を落とすことを止めずに吹いている。
【NO.22】
『 街かげの 原にこぼれる 夜の雪 ふみゆく我の 咳ひびきけり 』
【意味】街の、影になった暗い原に積もった夜の雪を踏み歩く私の咳が響いているものだ。
【NO.23】
『 小野の土に かぎろひ立てり 真日あかく 天づたふこそ 寂しかりけれ 』
【意味】野原の土に陽炎が立ち、太陽の光が空を伝うことの何と寂しいことか。
【NO.24】
『 山いづる 太陽光を 拝みたり をだまきの花 咲きつづきたり 』
【意味】山から昇る太陽を拝んでいた。オダマキの花が咲き続けている。
【NO.25】
『 みちのくの 母のいのちを 一目見ん 一目見んとぞ ただにいそげる 』
【意味】陸奥に居る母の命を、その命のある内に一目見ようとただ急いでいる。
【NO.26】
『 ここに来て こころいたいたし まなかひに 迫れる山に 雪つもる見ゆ 』
【意味】ここに来て心が痛々しく思える、目の前に迫ってくる山に雪が積もるのを見ると。
この歌は、祖母の訃報に駆け付けた際の心境を詠んだものと言われています。ただでさえ心を痛めている状況に、家の前に見える雪の積もる山が追い討ちをかけてくると茂吉には感じられたようです。
【NO.27】
『 うつつなる ほろびの迅(はや)さ ひとたびは 目ざめし鶏も ねむりたるらむ 』
【意味】現世に生きその滅ぶことの早さよ、一度目覚めた鶏もまた眠ってしまったのであろう。
【NO.28】
『 をさなごは 畳のうへに 立ちて居り このおさなごは 立ちそめにけり 』
【意味】幼い子供が畳の上に立って居り、この子供は初めて立った。
【NO.29】
『 しづかなる 砂地あはれめり ひたぶるに 大き石むれて あらき川原に 』
【意味】静かに鎮まる砂地をひたすら大事に思い眺めている、大きな石が群れている荒い川原で。
【NO.30】
『 朝あけて 船より鳴れる 太笛の こだまはながし 竝(な)みよろふ山 』
【意味】朝が明け、船から鳴る太い汽笛の音のこだまは長く、湾を囲むようにある山に響いている。
以上、斎藤茂吉の有名短歌でした!
斎藤茂吉の作品は、時には冷酷なまでに写生を貫き、時には母や子への愛に溢れ、そして細微な情景を捉えています。
斎藤茂吉という男のこれまで見てきた世界が感じ取れるようです。