古来より人々の心を映し、親しまれてきた日本の伝統文学「短歌」。
「五・七・五・七・七」の三十一文字で、歌人の心情を表現する叙情的な作品が数多く残されています。
「恋の短歌」といえば、情熱の歌人・与謝野晶子の作品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
今回は彼女が残した名歌の中から、「小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ」をご紹介します。
小百合さく 小草がなかに 君まてば
野末におひて 虹あられぬ
撮影:伊勢梓 @iseazusa pic.twitter.com/CyoM5lOoOg
— さとう めぐみ (@Megumi_Satou_) August 16, 2014
本記事では、「小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ」の詳細を解説!
小百合さく 小草がなかに 君まてば 野末にほひて 虹あらはれぬ
(読み方:さゆりさく おぐさがなかに きみまてば のずえにほひて にじあらはれぬ
作者と出典
作者は、「与謝野晶子(よさの あきこ)」です。
明治から昭和にかけて活躍した浪漫主義文学を代表する女流歌人です。鋭い自我意識に基づく斬新な歌風で、近代短歌に新しい時代を開きました。
また、この歌の出典は、1901年に刊行された第一歌集『みだれ髪』です。女性の自由や青春を誇らかに歌い上げた短歌が多く収められており、当時の歌壇に大きな衝撃を与えました。
現代語訳と意味(解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「小百合が咲いている草原の中で、あなたが来るのを待っていると、野の果ては美しく輝いて虹が現れました。」
という意味になります。
小百合が咲き乱れる草原に虹がかかった光景とは、なんともロマンチックで、若い女性の心浮きたつ様子が伝わってきます。初々しい清純さと古典的な華やかさが調和する美しい歌です。
文法と語の解説
- 「小百合」
ユリのことで、カサブランカのような大輪ではなく、繊細で可憐な「姫百合」や「笹百合」のような種類を示しています。万葉の時代から「さゆり」「草深百合」「姫百合」などと詠まれ、情緒的な物語を含んだ作品に多く使われる花です。
また、明治時代においては西洋文化・キリスト教の影響から清純さを表す言葉としても定着しはじめました。
- 「小草がなかに」
ここでの「が」は主語ではなく、連体修飾を表しており、現代語訳では「~の」となります。この歌では「草のなかに」と解釈できます。
- 「野末」
「のずえ」と読み、「野原の果て、野の端」を意味します。
- 「にほひて」
漢字では「匂ひ」と書きますが、「(良い)香り、におい」だけを表す言葉ではありません。「輝くような美しさ、鮮やかさ」や「魅力、気品」「栄華、威光」などと様々な意味を持っています。
この歌の場合は、「(野のはてが)美しく輝いて」と解釈します。
- 「あらはれぬ」
「あらはれる」+完了の助動詞「ぬ」の形式で、「あらわれた」と訳します。
「小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、歌の中で意味やリズムの切れ目のことです。
この歌には句切れはありませんので、「句切れなし」となります。
幻想的な世界を途切れることなく広げていき、作者の「君」への思いを甘く歌い上げています。
表現技法
特に目立った表現技法はありません
「小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ」が詠まれた背景
この歌が収録されている『みだれ髪』といえば、「みだれ髪を 京の島田にかへし 朝ふしていませの君ゆりおこす」のように、女性の官能をストレートに表現した歌が多くあります。
そのほとんどが、のちに最愛の夫となる与謝野鉄幹への強い恋情を詠ったものといわれていますが、この歌での「君」もおそらく同様ではないかと解釈されています。
この歌が発表されたのは明治33年6月刊行の『明星』3月号で、二人の劇的な出会いはその2月後の8月関西で開かれた歌会でした。初対面の前に発表された歌ではありますが、以前から晶子が鉄幹に憧れの念を募らせていたことは広く知られています。
当時の鉄幹といえば、「旧弊打破・自我独創」という過激なスローガンを掲げ、歌壇の風雲児として脚光を浴びていた頃です。晶子は新聞や機関誌「明星」詠んだ鉄幹の歌に強く惹かれ、明治33年5月に鉄幹が主催していた東京新詩社の同人になっています。
こうした背景を踏まえると、この歌で詠まれているのは鉄幹への思慕だけでなく、若い女性が持つ恋愛への憧れも込められているのかもしれません。
「小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ」の鑑賞
晶子の詠む歌は女性の妖艶さを感じさせるものが多い中、この歌初々しい乙女の心情を典雅な調べで柔らかく歌い上げています。それだけに惹きつけられる方も多い名歌です。
可憐な小百合が咲き誇る草原の向こうから虹が出てくる光景は、まるで一枚の絵のような美しさを感じさせます。
その光景は実際目にしたものではなかったかもしれませんが、恋する作者の心情をありありと表現していたことでしょう。
好きな男性を待っている間は、花咲く野原にいるようで、ひとたびその人が現れると、まるで虹が輝いたように見えたのではないでしょうか。ロマンチックな光景を描写することで、相手への想いが伝わってくるようです。
「小百合」「君」「にほひ」など古典的な言葉がちりばめられているこの歌には、作者が幼少の頃から親しんできた古典文学の優美さも感じられます。
文学としての知識だけでなく、王朝時代を通して恋愛への憧れを抱くようになったのでしょう。恋を知り初めた女性が、胸の高鳴りをロマンチックな名画のように表現した一首です。
作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介!
(与謝野晶子 出典:Wikipedia)
与謝野晶子(1878年~1942年)は、明治・大正・昭和にかけて活躍した女流歌人です。大阪府堺市の老舗和菓子屋の三女として生まれ、本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。
幼少の頃から父の蔵書を読みふけり、特に『源氏物語』など古典文学に親しみました。この経験からか今回ご紹介した歌のように、古典の息吹が豊かに取り入れられています。
そのことについて、晶子は「万葉集や古今集を少しも古臭いとは思わない」と述べていることから、大きな影響を受けていることがうかがえます。
20歳の頃には、実家の手伝いをしながら歌を作り、与謝野鉄幹が創刊した文学雑誌『明星』にも投稿していました。1900年に開かれた歌会で憧れの鉄幹と出会い、不倫関係になってしまいます。
当時はお見合い結婚や政略結婚が当たり前であり、縁談相手は自分の意思ではなく親が決める時代において、晶子は彼の後を追うため実家を飛び出し上京。
その後、鉄幹の編集により刊行された処女歌集『みだれ髪』は、従来の女性像を打ち破る革新的な歌にあふれ、命がけの恋心や今このときの自身の美しさを歌い上げた作品は、賛否両論の嵐を巻き起こしました。
「誠の心を歌わぬ歌に、何の値打ちがあるでしょう」と強い信念を持って歌を作り続けた晶子の作品は、約5万首にものぼります。
創作意欲は作歌だけに留まらず、古典文学研究や婦人運動の評論活動、教育活動など、社会に貢献する大きな功績を残しました。
「与謝野晶子」のそのほかの作品
(与謝野晶子の生家跡 出典:Wikipedia)