短歌は、日常の中で感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。
みそひともじと呼ばれる短い文字数の中で心を表現するこの「短い詩」は、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。
今回は、第1歌集『サラダ記念日』が社会現象を起こすまでの大ヒットとなり、現代短歌の第一人者として今なお活躍する俵万智の歌「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」をご紹介します。
7月6日は #サラダ記念日
俵万智さんの歌集から得たものは大きかった。
万智ちゃんを 先生と呼ぶ子らがいて
神奈川県立橋本高校何でもない歌ですが、教育実習中の支えでした。
後に、私がお母さんでいられるのも、子らがいるからこそだなぁとか。折々思い出します。#俵万智
— ✴︎✴︎ 16.38 (広宮)🌔 (@vc66AaZmbH5oZbE) July 6, 2017
本記事では、「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」の詳細を解説!
(神奈川県立橋本高等学校 出典:Wikipedia)
万智ちゃんを 先生と呼ぶ 子らがいて 神奈川県立 橋本高校
(読み方:まちちゃんを せんせいとよぶ こらがいて かながわけんりつ はしもとこうこう)
作者と出典
この歌の作者は「俵 万智(たわら まち)」です。
短歌界ではもちろん短歌にあまり詳しくない人まで、日本ではほとんどの人が名前を知っていると言っても過言ではないくらい有名な歌人です。
日常の出来事を分かりやすい言葉選びで表現した短歌は、親しみやすく、それでいて切り口が斬新で、今も多くの人の心を掴んでいます。
また、出典は『サラダ記念日』です。
1987年(昭和62年)5月に出版された第1歌集で、表題にもなった歌「サラダ記念日」は俵万智の代名詞にもなっています。出版されるやいなや280万部のベストセラーとなり、収められている短歌から合唱曲がつくられたり、いくつもの翻案・パロディ作品が出たりするなど社会現象となりました。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌は現代語で詠まれているため、読み手がそのまま意味を捉えられるものです。
あえて噛み砕いて書き直すとすると、次のような内容になります。
「万智ちゃんと呼ばれる人(私)のことを、『先生』と呼ぶ(呼んでくれる)子たちがいる。ここ、神奈川県立橋本高校。」
ストレートに受け取ると、何ということのない学校の中の風景を描いた歌です。
しかし、この歌をどう解釈していくかという話になると、ポイントとなるのは「万智ちゃん=詠み手である」というところです。
では、語の意味や文法を確かめながら、この歌の真意を読み取っていきましょう。
文法と語の解説
- 「万智ちゃんを」
まず始めに出てくるのが、「万智ちゃん」という固有名詞。これは詠み手である俵万智本人のことです。「ちゃん」と呼称がついていることから、周りから呼ばれているようす、周りに思われている(もしくは自分自身で思っている)幼さ・少女っぽさが表現されています。
- 「先生と呼ぶ 子らがいて」
初句の終わりが「を」という助詞であり、万智ちゃん「を」先生と呼ぶ子どもがいることが、二句目で分かります。「子ら」の「ら」は複数であることを表す接尾語「等(ら)」ですから、何人もの子がそう呼んでいるのでしょう。
- 「神奈川県立橋本高校」
印象的な固有名詞です。文字のまま、神奈川県立高校である橋本高校のことを言っています。「万智ちゃんが複数の子どもに先生と呼ばれている」というこれまでの話の舞台が「神奈川県立橋本高校」だということが分かります。
「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」の句切れと表現技法
句切れ
この歌は三句切れです。
前半の三句までで「万智ちゃんを先生と呼ぶ子たちがいる」という「人物」と「出来事」が描かれ、ここで視点が切り替わります。
そして、四句と結句ではその舞台が「神奈川県立橋本高校で」ということが表されています。
表現技法
この歌には表現技法として、次のようなものが使われています。
<固有名詞の使用>
「万智ちゃん」「神奈川県立橋本高校」と具体的に固有名詞を使うことで、この歌そのものの印象が強くなっています。また、橋本高校を知らない人にとっても「県立の高校」ということは分かるため、舞台が想像しやすくなっています。
<体言止め>
結句を「神奈川県立橋本高校」という名詞(体言)で締めくくることで、読み手にはより強い印象が残ります。
<字余り>
下の句が7・7となるところを、8・8にしています。しかしこれは表現的な効果を狙ったわけではなく、「神奈川県立橋本高校」という固有名詞を使用しているためと思われます。
<省略法・中止法>
「神奈川県立橋本高校に、万智ちゃんを先生と呼ぶ子たちがいて・・・」と、「いる。」で完結しているわけではないため、その先の出来事や周りの情景などに読み手が想像を広げられる歌となっています。
「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」が詠まれた背景
この歌が最初に収録されたのは、第1歌集の『サラダ記念日』です。
作者は当時24歳で、高校の教員になってすぐの年でした。
この歌が詠まれた背景について、作者自身が取り立てて語ったことはありません。しかし、この歌に出てくる「子ら(=生徒)」との関係は良好だったようで、のちに別の歌の解説で次のように語っています。
二十四歳で教師になったので、高校三年生の教え子とは、六歳しか違わなかった。(中略)
子どもが四ヶ月になったころ、モト教え子が二人、先輩ママとして遊びに来た。(中略)
彼女たちに教えた古典が役立っているかはまるで自信がないが、お返しのように教えてもらっているのだった。
(『たんぽぽの日々』2010年 小学館 34,35頁より)
卒業してもなお会いに来てくれる生徒がいるということは、作者と生徒との関係が良かった証拠である。
また同僚の教員とも関係が良かったようで、この歌の背景には作者が学校での教員生活を楽しんでいたことが伺えます。
「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」の鑑賞
【万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校】は、「先生と呼ばれている自分」の何とも言えない気持ちを詠んだ歌です。
つい最近まで学生だった自分。家族や友人から「万智ちゃん」と呼ばれている自分。そんな自分が、子どもたちに「先生」と呼ばれている。
この歌には「先生」と呼ばれることに対する気恥ずかしさや、自分はまだまだ未熟なのに…と思う気持ち、また逆に、嬉しくてちょっと胸を張りたくなる気持ちなどが込められていると感じられます。
ただ生徒が教師を「先生」と呼ぶだけの何気ない歌ですが、その場面から目線を橋本高校の学び舎の風景や生徒のようすへと移して見ることができます。
作者や生徒たちの学校生活に想像を膨らませていくのも楽しいですね。
作者「俵万智」を簡単にご紹介!
俵万智は、現在も短歌界の第一人者として活躍する歌人です。
1962年に大阪府門真市で生まれ、13歳で福井に移住。その後上京し早稲田大学第一文学部日本文学科に入学しました。歌人の佐佐木幸綱氏の影響を受けて短歌づくりを始め、1983年には、佐佐木氏編集の歌誌『心の花』に入会。大学卒業後は、神奈川県立橋本高校で国語教諭を1989年まで務めました。
1986年に作品『八月の朝』で第32回角川短歌賞受賞。翌1987年、後に彼女の代名詞にもなる、第1歌集『サラダ記念日』を出版します。短歌になじみがなかった人にも分かりやすい表現が受け、瞬く間に話題を呼び、この歌集は260万部を超えるベストセラーになりました。『サラダ記念日』は第32回現代歌人協会賞を受賞しています。
高校教師として働きながらの活動でしたが、1989年に橋本高校を退職。本人曰く、「ささやかながら与えられた『書く』という畑。それを耕してみたかった。」とのことで、短歌をはじめとする文学界で生きていくことを選んだそうです。
その後も第2歌集『かぜのてのひら』、第3歌集『チョコレート革命』と、出版する歌集は度々話題となりました。現在(2021年)は第6歌集まで出版されています。短歌だけでなくエッセイ、小説など活躍の幅を広げ、芝居の脚本に挑戦したことも。現在も季刊誌『考える人』(新潮社)で「考える短歌」を連載中。また1996年6月から毎週日曜日読売新聞の『読売歌壇』の選と評を務めています。2019年6月からは西日本新聞にて、「俵万智の一首一会」を隔月で連載しています。
プライベートでは2003年11月に男児を出産。一児の母でもあります。
俵万智のその他の作品
- 思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
- 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
- この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日
- 水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
- 君のため空白なりし手帳にも予定を入れぬ鉛筆書きで
- 親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト
- 来年の春まで咲くと言われれば恋の期限にするシクラメン
- 男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす
- まっさきに気がついている君からの手紙いちばん最後にあける
- 生きるとは手をのばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり