古来より人々の心を映し、親しまれてきた短歌の世界。「五・七・五・七・七」の三十一文字で、歌人の心情を歌い上げる叙情的な作品が数多くあります。
その中でも「恋の短歌」ときけば、情熱の歌人・与謝野晶子の作品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
今回は彼女が残した名歌の中から、「春雨にぬれて君来し草の門よおもはれ顔の海棠の夕べ」をご紹介します。
春雨にぬれて君こし草の門よおもはれ顔の海棠の夕
与謝野晶子 pic.twitter.com/FVGqpeKaxb
— 中家菜津子 (@NakaieNatsuko) April 6, 2016
本記事では、「春雨にぬれて君来し草の門よおもはれ顔の海棠の夕べ」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「春雨にぬれて君来し草の門よおもはれ顔の海棠の夕べ」の詳細を解説!
春雨に ぬれて君来し 草の門よ おもはれ顔の 海棠の夕べ
(読み方:はるさめに ぬれてきみこし くさのかどよ おもはれかおの かいどうのゆうべ)
作者と出典
この作者は「与謝野晶子(よさの あきこ)」です。
明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。雑誌『明星』で短歌を発表し、浪漫主義文学の中心人物となりました。
また、この歌の出典は、1901年に刊行された晶子の処女作『みだれ髪』です。乙女の真情や官能美を誇らかに歌い上げた作品は、明治の歌壇に大きな衝撃を与え、一大センセーションを巻き起こしました。
現代語訳と意味(解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「春雨に濡れて、あなたが小さな家の門をくぐって来てくれた夕べ。愛されていることを知っているかのように咲く海棠の花よ」
という意味になります。
あなたに思い慕われていることを、まるで気付いているかのように薄紅に色づく海棠の花。この歌に詠まれている「海棠の花」は晶子自身を表現しています。女性の恋に浮き立つ様子を、古典的な華やかな雰囲気で詠んだ美しい歌です。
文法と語の解説
- 「春雨(はるさめ)」
春雨とは、春に降る雨のことです。万葉集でもよく詠われ、自然現象としては「霞」と並ぶ春の風情ある題材の一つです。
- 「来(こ)し」
「来(く)」の未然形+過去の助動詞「き」の連体形の形式です。「来た」と訳します。
- 「草の門(かど)よ」
「草の門」は草の戸のことを指しており、屋根を草で葺いた粗末なつくりの住居のことを意味します。助詞の「よ」が接続しており、詠嘆を込めて詠んでいます。
- 「おもはれ顔」
「おもはれ」で恋い慕われるという意味で、一般的には「思われ人(びと)」のように使われています。ここでの「顔」は接尾語的に用いられ、心持を表した顔の様子や表情を指します。つまりこの歌では、「恋い慕われている顔つき」を表しています。
- 「海棠(かいどう)」
海棠とは、中国原産のバラ科の落葉小高木です。桜の花よりも濃い薄紅色の花には艶麗な雰囲気を醸し出していますが、うつむき加減に咲く姿からは可憐さも感じさせます。
中国では牡丹と並び愛された花の一つで、その美しさは玄宗皇帝が楊貴妃のねむたげな姿に喩えられたほどで、美女の形容としても使われています。
また漢詩『雨中海棠』の題では、雨に濡れている海棠の花の可憐な姿を詠んでおり、春雨を引き立たせる花としても知られています。漢詩に
晶子の作品には海棠を詠んだ歌が多く、『みだれ髪』にもしばしば用いられている花です。後には鉄幹と暮らした渋谷の家の庭にも海棠の苗を植えてたことから、晶子自身が好んでいた花だとうかがえます。
「春雨にぬれて君来し草の門よおもはれ顔の海棠の夕べ」の句切れと表現技法
(花海棠 出典:Wikipedia)
句切れ
句切れとは、歌中の意味や内容、調子の切れ目を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。
この歌の場合は三句目「草の門よ」で、一旦歌の流れが句切ることができるので「三句切れ」となります。
体言止め
体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。文を断ち切ることで言葉が強調され、「余韻・余情を持たせる」「リズム感をつける」効果があります。
この歌も「夕べ」という名詞で結んでおり、体言止めが使われていることが分かります。
「夕べ」という言葉を強調することで、夜の帳が下りる頃に君がやってきたのだと、艶やかな雰囲気を醸し出しています。
擬人法
擬人法とは、植物や動物、自然などを、まるで人がしたことのように表す比喩表現の一種です。例えば、「花が笑う」「光が舞う」「風のささやき」などといったものがあります。
この歌では海棠の花を擬人化しており、貴方に愛されているという作者の心情を投影していることが詠み取れます。
「春雨にぬれて君来し草の門よおもはれ顔の海棠の夕べ」が詠まれた背景
この歌が収録されている『みだれ髪』といえば、そのほとんどがのちに夫となる与謝野鉄幹への強い恋情を詠ったものといわれています。
まだ21歳であった晶子が、妻子ある鉄幹の後を追い実家を捨てて上京し、新しい妻となるまでの情熱が、この歌集を生み出すエネルギーとなったことは明らかでしょう。どの一首をとっても、はつらつとした乙女心がみずみずしく伝わってくるようです。
この歌は『みだれ髪』の冒頭を飾る「臙脂紫(えんじむらさき)」の章に収められています。
「紫」には許されぬ恋への思いを込めて、晶子と鉄幹の秘密の合言葉として使われていたのではないかと解釈されています。
この章の特徴として、まだ恋人であった鉄幹への思いを乙女らしい雰囲気で詠んだ作品が数多くあります。さらに、親友でもあり短歌の師の寵愛を争う恋のライバルでもあった山川登美子の存在も色濃く表れています。
鉄幹は晶子に対し、登美子へも心をかけていることを隠すこともしなかったので、嫉妬と苦悩に苛まれたことでしょう。
この歌でも、春雨に濡れながらもやってきてくれた鉄幹の行動や、「おもわれ顔」の海棠の花から、恋の勝者となった作者の奢りともとれる心情が感じられます。
「春雨にぬれて君来し草の門よおもはれ顔の海棠の夕べ」の鑑賞
晶子の作品は、自我を力強く詠ったものが多い中、この歌には珍しく作者自身のことはそれほど描かれていません。
可憐な女性を象徴するかのような「海棠の花」を擬人化することで、客観的に恋心を描写しています。
春の雨に濡れながら、貴方はこの粗末な私の家にわざわざ来てくれた。そのことに愛情を感じる晶子は、まるで海棠の花のように薄紅色に頬を染めていたことでしょう。
「春雨」「君」「草の門」など、古典的な言葉がちりばめることで乙女心を典雅な調べで柔らかく歌い上げています。
そして、時刻を「夕べ」としたことで、ふけていく夜を共に過ごす高揚感が読み取れます。積極的に人間性を肯定し、女性の官能をおおらかに歌い上げる、晶子らしい一首といえるでしょう。
作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介!
(与謝野晶子 出典:Wikipedia)
与謝野晶子(1878年~1942年)は、鋭い自我意識に基づく斬新な歌風で、近代短歌に新しい時代を開いた女性歌人です。大阪府堺市の老舗和菓子屋の三女として生まれ、本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。
従来の女性像を打ち破る革新的な歌を多く残し「情熱の歌人」とも言われた晶子ですが、実際の生き方も歌の同様情熱的で奔放なものがありました。
1900年に開かれた歌会で憧れの師・与謝野鉄幹と出会い、不倫関係になってしまいます。当時はお見合い結婚や政略結婚が当たり前であり、縁談相手は自分の意思ではなく親が決めるものでした。しかし晶子は彼の後を追うため実家を飛び出し、上京してしまうのです。
鉄幹の編集により刊行された処女歌集『みだれ髪』は、命がけの恋心や今このときの自身の美しさを誇らかな情熱を持って歌い上げ、明治の歌壇に大きな衝撃を与えました。
鉄幹との結婚生活では12人の子供を儲け、育児に専念するだけでなく詩人としてのキャリアに翳りが見え始めた夫に代わり、家計を支え続けます。
嫁ぎ先の夫に従って生きるだけという古めかしい習慣に囚われることなく、「女子の徹底した独立」を声高に主張しつづけました。
生涯5万首もの歌を残していますが、創作意欲は短歌だけに留まらず、古典文学研究や婦人運動の評論活動、教育活動など、社会に貢献する大きな功績を残しています。
「与謝野晶子」のそのほかの作品
(与謝野晶子の生家跡 出典:Wikipedia)