歌人若山牧水は自然の美しさを巧みに描写した短歌で知られています。
独特の表現は情景を、鮮やかで透明感のある水彩画のように読み手にイメージさせます。
今回は、牧水の残した名歌の中から「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」を紹介します。
かたはらに秋草の花かたるらく
ほろびしものはなつかしきかな若山牧水 pic.twitter.com/OkFUIyFeuA
— Chiyo (@ChiyoNagamori) September 14, 2016
本記事では、「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」の詳細を解説!
かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな
(読み方:かたわらに あきぐさのはな かたるらく ほろびしものは なつかしきかな)
作者と出典
かたはらに秋草の花語るらく ほろびしものはなつかしきかな 若山牧水 pic.twitter.com/cHXxLNDqDQ
— 渡部篤 (@watanabeatushi) December 11, 2014
この歌の作者は「若山牧水(わかやま ぼくすい)」です。
若山牧水は、明治から大正を生きた歌人です。自然と旅とお酒をこよなく愛した人物で、多くの歌を残しました。牧水の歌碑は全国に約300基あるとされ、それだけ多くの土地を彼が旅したことと、歌の人気がうかがえます。
牧水の作品には自然の美しさを透明感ある表現で描写したものが多く「自然主義文学」と呼ばれています。また牧水は文才に優れており、短歌の他には紀行文や随筆も有名です。
また、この歌の出典は「路上」です。
「路上」は、牧水が26歳で出版した第四歌集です。牧水は25歳の折に大失恋をしていて、それが元で体を壊し信州で静養していました。「路上」にはその時期に詠まれた歌が多く収められています。
牧水は「路上」を自分の生活の陰影だと語っており、失恋の相手との関係修復が見込めないことへの諦めや失意の気持ちなどを、しみじみとした寂しさを込めて短歌で表現しました。
現代語訳と意味
この歌を現代語訳すると・・・
「(廃墟となった小諸城址に、むなしく座っていると)すぐそばに咲く秋草の花が語ることには、滅んだものは懐かしいものだね」
という意味になります。
昔に栄えて今は滅んでしまったものを思い、懐かしんでいる歌です。擬人法を用いていて、秋草の花が作者にそっと寄り添って語りかけてきているような内容となっています。
文法と語の解説
- かたはらに
「かたはら」は漢字では「傍ら」と書き「かたわら」と読みます。物の側面や、物や人のそば、隣、または周りにいる人などの意味があります。
- 秋ぐさの花
「秋草の花」のことで、秋に咲く野の花といった意味です。また「秋草の花」は菊を指す言葉でもあります。
- かたるらく
漢字では「語るらく」と書き「語ることには」といった意味となります。「らく」は接尾語で、動詞の連体形に付き「~すること」という意味を表します。
- ほろびしものは
「滅んだものは」といった意味です。「滅び」はなくなる、滅亡する、おちぶれるといった意味で、「し」は古語で完了を表す助動詞「き」の連体形です。
- なつかしきかな
「懐かしいことだよ」といった意味です。「懐かし」は昔を思い出して慕わしく心がひかれる様子を表します。「かな」は詠嘆を表し「~だなあ」「~なことだよ」と心が動かされたことを表現します。
「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」の句切れと表現方法
句切れ
この歌は途中で文章の意味が切れる箇所がないため、「句切れなし」です。
擬人法
擬人法は人間以外の物や動植物に人間の動作や特徴を当てはめて表現する方法です。
この歌では「秋ぐさの花」が語るという部分が擬人法で、作者と同じように花もまた昔を懐かしく思っているように表現されています。
詠嘆「かな」
詠嘆は、強く感動したことや感銘を受けたことなどを表します。
第五句の「かな」が詠嘆を表し、滅んだものに心がひかれて懐かしく感じていることを強調し、歌に余韻を残しています。
「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」が詠まれた背景
この歌は、若山牧水が26歳の頃に長野県の小諸城の跡地で詠んだものです。
その前年まで牧水は命を燃やすような情熱的な恋愛をしていましたが、その恋は成就しませんでした。牧水は失恋の悲しみが元で体調を崩し、小諸の友人が勤めていた病院で静養をすることになり、その期間に「小諸城址(こもろじょうし)」を訪れます。
小諸城は平安時代には源氏、戦国時代には武田家、織田家と支配が移り、徳川・北条・上杉などの武家が争奪戦を繰り広げ、最後は徳川の所領となったという歴史があります。
牧水は静かな秋の野の中で城跡を見つめ、そういった歴史に思いを巡らせていたのかもしれません。または隆盛と衰退を繰り返して今は寂しく佇む城を眺めながら、かつての情熱と去っていった恋人のことを思い出していたのかもしれません。
そうしてしんみりとした気持ちでいた時に、傍らに咲く花に気付いたのでしょう。秋の花は自分に寄り添うように静かに咲いていて、見ると花の方でも気付いたように「懐かしいものだね」とそっと語りかけてきた、そんな風に牧水は感じてこの歌を詠んだのではないでしょうか。
(小諸城にある牧水歌碑 出典:Wikipedia)
「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」の鑑賞
秋という季節と「ほろびしもの」という表現が、しんみりとした物寂しい印象を残し、「なつかしきかな」の詠嘆でその寂しさを思う気持ちが余韻となっています。
今はもう無いものを懐かしむ気持ちは「懐古」と言って和歌や短歌ではテーマになることの多い感情です。滅びた都や城の跡地などを見つめて過去の栄華を思い、寂しさや切なさを感じて懐かしむ歌は古来から日本人に好まれるものでした。
作者の牧水は26歳の若者でしみじみと昔を懐かしむにはやや早い年齢ですが、失恋の痛手によって年齢よりも落ち着いた、老成した境地へ達していたのかもしれません。
歌の情景はとても静かで「ほろびしもの」をただ見つめる作者の姿を思わせます。城の歴史かかつての恋人か、今はもうそこに無いものを思う牧水に共感するように花が語りかけてきます。
実際に花が口を利いたわけではないので、花の声は牧水の心の声です。しかし寂しさを感じていたであろう牧水は、自分と同じ気持ちで話しかけてきた花に少しの親近感と優しさを感じたのではないでしょうか。
この歌は花とともに昔を懐かしむ寂しさを感じますが、「なつかしきかな」の詠嘆ではその寂しさに浸る気持ちを思わせます。傷ついていた牧水には静かな寂しさがかえって快く、今は黙って栄枯を見つめていたいという気持ちだったのかもしれません。
作者「若山牧水」を簡単にご紹介!
(若山牧水 出典:Wikipedia)
若山牧水は1885年(明治18年)に、宮崎県の自然豊かな山あいの村で生まれました。彼は本名を若山繁と言いますが、牧水のペンネームは母「マキ」と自然を育む山からの水という、彼が愛したものを合わせた名だそうです。
牧水は10代で短歌と俳句を作り始め、進学した早稲田大学では同級生の北原白秋とともに詩歌の雑誌を作るなどの文学活動に勤しみました。そして卒業後に歌集「海の声」で歌壇デビューを果たします。
当時の短歌は甘い情緒や感傷を好む「浪漫主義」が流行していましたが、牧水は美しい自然の情景を巧みな表現で描き出し、その流行にとらわれない独特の世界観は歌壇からだけでなく一般庶民からも多く支持されました。
自然を愛する牧水は旅も好きで、自分の子供に「旅人(たびと)」と名付ける程でした。風光明美な場所へ旅をしては題材として歌を作り、最後は富士山の見える美しい自然に囲まれた沼津へ移住を果たします。
失恋や事業での大きな借金など人生には幾度か苦境もありましたが牧水は文学活動を続け、1928年(昭和3年)に43歳で死去するまで約9,000首もの短歌を作りました。彼の歌は今でも多くのファンに愛され続けています。
「若山牧水」のそのほかの作品
(沼津市の若山牧水記念館 出典:Wikipedia)
- 幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
- いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
- 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
- 海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり
- 山眠る山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく
- うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花
- たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴るさびしき心うちつれて鳴る
- 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
- 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる
- 秋風や日本の国の稲の穂の酒のあぢはひ日にまさり来れ
- うら恋しさやかに恋とならぬまに別れて遠きさまざまな人
- 山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君