【ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

短歌は、思ったことや感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。

 

「みそひともじ」とも呼ばれるこの「短い詩」は、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。

 

今回は、現代短歌の第一人者である歌人「石川啄木」の一首「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」をご紹介します。

 

 

本記事では、ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の詳細を解説!

 

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

(読み方:ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの ひとごみのなかに そをききにゆく)

 

作者と出典

この歌の作者は「石川啄木(いしかわ たくぼく)」です。

 

岩手県出身の歌人で、明治時代に活躍しました。文学で生きていこうと上京するも、失敗や挫折を繰り返した苦労人です。貧苦と病苦の中で生活に即した3行書きの短歌を詠み、処女歌集『一握の砂』で有名になるも、27歳にして病でこの世を去りました。

 

また、出典は『一握の砂』です。

 

1910年(明治43年)に発行された作者の処女歌集で、作者の上京以後の短歌551首を収録。内容は、故郷や北海道での生活を回想したものと、都会生活の哀歓をうたったものに分かれています。歌はすべて、石川啄木の作品の特徴でもある3行分かち書きの形式で表現されています。

 

現代語訳と意味 (解釈)

 

この歌を現代語訳すると・・・

 

「ふるさとの訛がなつかしい。駅の人ごみの中にそれを聞きに行くのだよ。」

 

という意味になります。

 

ひとり故郷を離れて暮らす中で、郷里を懐かしく、恋しく思う気持ちが詠まれた歌です。

 

文法と語の解説

  • 「ふるさとの」

「ふるさと」は読み手によって思い浮かべる地が変わりますが、作者が想像していたのは出身地である岩手県だと考えられています。

 

  • 「訛なつかし」

「訛」と聞くと、東北地方や沖縄県などの独特な話し方をイメージする方が多いかもしれません。しかしこの歌では、もっと広義的に「方言」を意味しています。訛のあとに助詞「が」が省略されています。

 

  • 「停車場の人ごみの中に」

「停車場」は駅のことです。「人ごみ」ができるような駅なので、比較的大きな駅を指していると考えられます。

 

  • 「そを聴きにゆく」

「そ」は代名詞で、「それ」という意味です。前に話題となったものを指しているため、この歌では「訛」のことを言っています。また「聴きにゆく」という表現からは、自発的に聴きに行ったというニュアンスが感じられます。

 

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことで、読むときもここで間をとると良いとされています。

 

この歌は「二句切れ」です。

 

前半の二句までで「ふるさとの訛がなつかしい」という気持ちを述べ、そこで視点が切り替わります。続く三句から結句までで、駅の人ごみの中に「懐かしい訛」を聞きに行くようすが描かれています。

 

字余り

字余りとは、「五・七・五・七・七」の形式よりも文字数が多い場合を指します。あえてリズムを崩すことで、結果的に意味を強調する効果があります。

 

この歌では四句目の「人ごみの中に(8)が字余りとなっています。

 

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」が詠まれた背景

 

この歌が詠まれたとき、石川啄木は東京で暮らしていました。そのときの生活はとても貧しく、また作家としても日の目を見ない日々でした。

 

そのため、この歌での「なつかしい」には、故郷である岩手県が恋しいという気持ちだけでなく、故郷に居たころの豊かな暮らしに戻りたいという思いも込められていると考えられます。

 

「訛」は広い意味で東北の方言を指しているのではないかと言われています。

 

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の鑑賞文

 

【ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく】は、上京した青年が故郷を恋しく思う気持ちを詠んだ歌です。

 

誰にとっても、自分の出身地や住んでいた故郷というのは特別な存在です。故郷を離れていると、その地の風景や食べ物など、いろいろなものから懐かしさを感じることがあるかと思います。中でも「方言」は面白いもので、耳馴染みのある言葉がふと聞こえてきたら、思わずそちらを振り返ってしまうような魅力があります。

 

この歌の主人公は、それを「聴きにゆく」・・・わざわざ聞きに行きたくなるほど、故郷への恋しさが募っているようです。

 

故郷を思って涙しているかもしれませんし、元気をもらって少し前向きな気持ちになっているかもしれません。ただ懐かしいというだけではなく、恋しい、帰りたい、家族や友人はどうしているだろう、自分は1人で心細い・・・といった様々な思いがこの歌には込められているように思います。

 

作者「石川啄木」を簡単にご紹介!

(1908年の石川啄木 出典:Wikipedia

 

石川啄木は、1886年(明治19年)岩手県日戸村に、お寺の長男として生まれました。

 

翌年に渋民村に移住し、両親の愛を一身に受けて育ちました。小学校では、卒業時に主席を争うほど優秀だったと言われています。

 

盛岡中学校在学中に、上級生の金田一京助の影響で文学にめざめ、雑誌『明星』を愛読。読書のし過ぎと、のちに妻となる節子との恋愛がもとで成績不振となり、中学校を退学。文学で身を立てるべく上京します。

 

しかし、何の目算もなかった試みは4ヶ月で失敗に終わり、病に倒れて帰郷。病が癒えるころに作品を発表し始めると、1903年(明治36年)に『明星』に掲載された詩が注目されました。これを機に詩作に自信がつき、様々な雑誌で作品を発表。1905年(明治38年)に第一詩集『あこがれ』を刊行し、若き詩人としての地位を手に入れました。

 

一方、父が住職を罷免したことや、自身の結婚もあって生活は困窮。一家の生計を立てるために小学校で代用教員をするも1年で免職します。職を求めて北海道に渡ったり、再び上京したり転々としながら小説を書くも売れず、生活苦が続きました。そういった経緯もあって、当初の浪漫的か歌風から、現実を直視した自然主義的歌風へと転じていきました。

 

さらに、1910年(明治43年)には大逆事件に衝撃を受けて社会主義に傾倒。同年に歌集『一握の砂』が刊行され歌人として有名になるも、翌年に肺結核でこの世を去りました。

 

「石川啄木」のそのほかの作品

(1904年婚約時代の啄木と妻の節子 出典:Wikipedia)