今回は、第1歌集『サラダ記念日』が社会現象を起こすまでの大ヒットとなり、現代短歌の第一人者として活躍する俵万智の歌「はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり」をご紹介します。
はなび花火そこに光を見る人と
闇を見る人いて並びおり
『かぜのてのひら』より俵万智「あれ、花火が上がっているよ、どこかで音が聞こえる」みたいなのが好き。カサカサと燃えて落ちる線香花火が好き。一瞬に幼い頃に。父と母が笑ってる。 pic.twitter.com/7rCNSQ0DVA
— 咲良 (@sakuranotabi) August 8, 2016
本記事では、「はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり」の詳細を解説!
はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり
(読み方:はなびはなび そこにひかりを みるひとと やみをみるひと いてならびおり)
作者と出典
この歌の作者は「俵万智(たわら まち)」です。
日本ではほとんどの人が名前を知っていると言っても過言ではないくらい有名な歌人です。親しみやすい言葉選びで表現した短歌に定評があり、読者が共感できる内容でありながらも切り口が斬新な作品たちは、多くの人の心を掴んでいます。
また、出典は『かぜのてのひら』です。
「かぜのてのひら」は1991年に河出書房新社から発行された、作者の第2歌集です。第1歌集『サラダ記念日』刊行後、作者が28歳になるまでの4年間に詠んだ歌を収録しています。タイトルの「かぜのてのひら」は、収録されている一首「四万十に光の粒をまきながら川面なでる風の手のひら」からとったものだそうです。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌は現代語で詠まれた歌なので、意味はそのまま受け取ることができます。あえて噛み砕いて書き直すとすると、次のような内容になります。
「はなび、花火。そこ(花火が上がっている場所)に、花火の光を見る人と それ以外の闇の部分を見る人がいて、(二人は)並んでいる。」
同じ花火を見ていても、光を見ている人と闇を見ている人がいる。その二人が並んでいるので、おそらく一緒に花火を見に来たのでしょう。同じ花火を一緒に見ていても、見るもの、感じていること、考えていることなどが違うという場面を詠んだ一首です。
文法と語の解説
- 「はなび花火」
「花火」…打ち上げ花火、手持ち花火、仕掛け花火など色々な種類がありますが、歌の中ではどの花火のことかは明記されていません。どんな花火で情景を思い描くかは、読者の想像に委ねられています。
「はなび」…あえて仮名にひらいて書かれています。花火の種類は分かりませんが、花火はなび、と重ねることで、どんどん空に咲いていく打ち上げ花火を想起させているようにも感じます。
- 「そこに光を見る人と闇を見る人」
「光」…目に明るさを感じさせるもの。この歌では花火の火の光のことでしょう。
「闇」…光のない状態。この歌では、空や周りの景色の暗い部分だと思われます。
「見る人」…2回出てきますが、「光を見る人」と「闇を見る人」はそれぞれ違う人間です。両者の間にある格助詞「と」は列挙するときに使います。
- 「いて並びおり」
「いて」…動詞「居る」の連用形+接続助詞「て」
「並びおり」…動詞「並ぶ」連用形+助動詞「おる」連用形
※居て並んでいる、と言うと、なんだか同じような言葉が重複している印象を受けますが、「(二人の人が)居て、(その二人は隣同士で)並んでいる」というように、二人がただ居るだけでなく、並んでそこにいることを強調しているのだと考えられます。
「はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり」の句切れと表現技法
句切れ
この歌に句切れはありません。全体で一つの文になっています。句切れがない歌は、流れるような印象を読み手に感じさせます。
字余り
初句が5音になるところを、「6音」にしています。「花火」という言葉を繰り返し使うことで生じた字余りです。作者が表現的効果を狙ったものかはわかりませんが、「ハナビハナビ」という独特なリズムは歌の印象を深めています。
対比
「光」と「闇」という正反対の意味をもつ言葉が使われています。同じ場所、同じ状況にいる二人の人物の片方に「光を見る」、片方に「闇を見る」という言葉を加えることで、両者の違いを浮かび上がらせています。
「はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり」が詠まれた背景
作者の俵万智さんは、この歌を詠んだ背景について取り立てて語ったことはありません。実体験なのかどうかも明言はされていません。
しかし、作者は歌集のあとがきやインタビューなどで、度々「完全なノンフィクションではない」ことを話されています。
そもそも短歌は作者が感じたことを詠むものなので、「感じたことは本当」なのです。そこには自身の実体験から生まれるものもあれば、友人から聞いた話やふと見た光景から生まれるものもあるでしょう。
この歌が詠まれたのは作者24歳から28歳までの4年間。この間に俵万智さんは教師を辞めて歌の道に進むことを選んでいます。職とともに人間関係が大きく変わり、この歌を詠むきっかけとなる出会いや出来事があったのかもしれませんね。
「はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり」の鑑賞
【はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり】は、同じものを見つつも、心では違うものを見ている…そんな二人を描いた歌です。
花火を一緒に見ているのは、恋人でしょうか。夫婦や友人という見方もできるかもしれません。
一般的には、恋人同士をイメージする読者が多いようです。打ち上げ花火か、または一緒にしている手持ち花火か……並んで同じ「花火」を見ている二人。
花火を見ていて「光を見る」というのは比較的普通の捉え方ですが、片方の人物は「闇」を見ています。
華やかで煌びやかな花火の灯りの中に、「光を見る人」は希望や幸福感、これから先の明るい未来を感じていることでしょう。しかしもう一人は、何か否定的なもの…不安や別れなどを冷静に見つめているようです。
並んで同じ花火を見ている二人でも、心は正反対の方向を向いている。この花火が終わったあと、二人の未来はどうなっていくのでしょうか。少し怖いような、悲しいような、でも身近にありふれていそうな一場面を描いた一首です。
作者「俵万智」を簡単にご紹介!
俵万智(たわら まち)は、1962年(昭和37年)大阪府門真市出身の歌人です。
13歳で福井に移住し、その後上京し早稲田大学第一文学部日本文学科に入学しました。歌人の佐佐木幸綱氏の影響を受けて短歌づくりを始め、1983年に、佐佐木氏編集の歌誌『心の花』に入会。大学卒業後は神奈川県立橋本高校で国語教諭を4年間務めました。
1986年に作品『八月の朝』で第32回角川短歌賞を受賞。翌年の1987年、後に彼女の代名詞にもなる、第1歌集『サラダ記念日』を出版します。同年「日本新語・流行語大賞」を相次ぎ受賞し、『サラダ記念日』は第32回現代歌人協会賞を受賞しています。
高校教師として働きながらの活動でしたが、1989年に橋本高校を退職。本人曰く、「ささやかながら与えられた『書く』という畑。それを耕してみたかった。」とのことで、短歌をはじめとする文学界で生きていくことを選んだそうです。
その後も第2歌集『かぜのてのひら』、第3歌集『チョコレート革命』と、出版する歌集は度々話題となりました。現在(2022年)は第6歌集まで出版されています。短歌だけでなくエッセイ、小説など活躍の幅を広げています。現在も季刊誌『考える人』(新潮社)で「考える短歌」を連載中。プライベートでは2003年11月に男児を出産。一児の母でもあります。
「俵万智」のそのほかの作品
- 思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
- 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
- この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日
- 水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
- 君のため空白なりし手帳にも予定を入れぬ鉛筆書きで
- 親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト
- 愛人でいいのと歌う歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う
- 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
- ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう
- いつもより一分早く駅に着く一分君のこと考える
- なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き
- 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
- 寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら